こうもり,あるいは George Benson と岸政彦
先日,ちょっとした雑文( こうもり) を公開したら,結構いろんな人に読んでもらっているみたいで,感想を返してくれる方もあった。ありがたいことである。でも,その中で「面白かったけど,もっと岸政彦風な情緒を匂わせてみたらいいと思う」みたいなのがあって,それはそれで感謝すべきコメントなのだが,これには基本的に誤解があると思う。 なにが誤解かというと,こういうたとえがわかりやすいだろう。筆者は素人日曜ジャズギタリストで,福井のバーなどでちょくちょくギターを弾かせてもらっているのだが,ある日演奏が終わった休憩時間にお客さんがやってきいて「いい演奏だったよ。でも,もっと George Benson みたいに弾いたら,さらに良くなるんじゃないかな」とアドバイスをくれたとしよう。お客さん,アドバイスはありがたいんですが,そんなこと百も承知,千も承知,138億も承知なんじゃあぁぁっ!
つまり,Geoge Benson みたいに弾ける能力があるなら,だれも苦労しない,言われなくても弾いてるってことだ。リンクした動画をみてもらうとわかるが,George Benson は音楽をクリエイトするのに,なんの努力もしていないと思う。つぎつぎとダイナミックでメロディアスなフレーズが彼の中から湧いて出て,必要なのはそれをギターにのせることだけだ。それに比べて場末のバーでランチタイムBGMなんかをやってる筆者は,3コーラスソロをわりあてられたら,持ってる貧弱なテクニックとリズム感で,どうやって音楽を盛り上げようか,と四苦八苦するわけである。 音楽雑誌の記事で読んだのだが,George Benson の家に泊めてもらった日本人によると,彼は朝起きると音楽をかけて,朝飯がおわったあたりで特に目的もなくギターをとってその音楽にあわせてひいたりするそうだ。それが死ぬほど上手いらしい。岸さんもトークショーで言っていたが,朝起きるとなんとはなしにPCを立ち上げて,とくに目的もなく文章を書いてるそうである(これは数年前の話で,いまは仕事が忙しそうだからそういう贅沢ができてるのかはわからない)。
というわけでご理解いただきたいのは,世の中にある才能というリソースはひとによって限られているので,筆者は George Benson のように弾くことも,岸政彦のように書くこともできません,ということ。ただ,George Benson のように圧倒的な演奏はできなくても,週末のランチタイムに小洒落たスパークリングワインなど飲んだカップルが「素敵な演奏でしたね,ありがとう」と言ってくれることはある。文章も上にリンクしたやつを読んで「面白かった,次書いて」と言ってくれるひともいる。それはそれで幸せなことだとおもってます。Give thanx。
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「***あるいは XXX」ってタイトル,20世紀にはやったエセインテリ風でいいと思いません?
ちなみにリンクした動画のなかで George Benson が弾いてるのは,色違いだけど筆者の弾いてるこのモデルです。
https://scrapbox.io/files/620c787f33c6bd001d5f066e.png