こうもり
20代のころ、ふた月ほどこうもりと暮らしたことがある。ふと気がつくとアパートの天井あたりにこうもりがいて、だんだんと生活圏が重なって親しくなった。このへんは記憶が漠然としているのだが、どこからか舞い込んできた、というわけではなく、天井に黒い影のようなものがあるな、と思っていたらだんだんはっきりしてきて、ある夜部屋のなかを飛んでいたという感じがする。だから、この話自体が幻想かもしれない。
で、飛び回るようになってから夕方に出ていって羽虫とか蝿とかをたべて帰ってくるみたいだったのだが、いつごろからか帰ってきたらテーブルのはしにとまって雑談をするようになった。ずっと逆さまであたまに血がのぼらないの?とか、羽虫を巡ってすずめと張り合いにならない?とかいう他愛もない雑談。向こうも人間の生態に興味があるらしく、地下鉄の入り口の階段を降りていく人々がその先なにをするのかとかを知りたがったりしていた。結構お互いに気が合ってたと思う。ちなみに今の日本の制空権はすずめではなく、カラスが握っているらしい。彼の意見では近いうちに逃げ出したペットのインコとカラスの制空権争いが本格化するそうだ。どうでもいいけど。
ある日、彼が外から帰ってきて,僕の目をじっと見て言った。
ー 俺,ずっとこうもりやってるけど,ときどき鳥になりたいと思うことがあるな。
こうもりって「やる」ものなのかな,などと漠然と考えながら,僕はこうもりの目をみていた。
ー いや,夕方に羽虫とかたべに行くのもわるくはないけど,天気のいい昼間の公園でハトみたいに豆をひろうのって,ちょっとあこがれるな。こうもりってイマイチ中途半端だよね?
僕はしばらくこうもりのひとみを見つめてから言った。
ー でも,そのまんまるで真っ黒なくろ目が,僕は好きだな。ハトって実は目が残酷だっていうじゃん。
ー ……。
ー ……。
ー そうかな,ちょっと照れるな。でも、もうちょっとこうもりやっててもいい気になってきた。
それからしばらくして,こうもりはいなくなった。来たときと同じようにだんだん影がうすくなって,気がついたら何日も目にしなくなった。だからやっぱりこれは夢だったのかもしれない。いまでも晴れた日の夕暮れ時に、ときどきあの黒い目を思い出す。まだこうもりやってるのかな。
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ー ねえ,どうしたの? さっきから私の目ばっかり見てない?
ー いや,むかしそんな黒目をしたやつと暮らしていたことがあって、思い出していた。
ー ふうん……。そうなんだ。
ー ……。
ー 素敵な人だった?
ー いや,人じゃなくてこうもりなんだけど。
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一行梗概:こうもりと一人暮らしの男のなんということもない交流
三行梗概:ふと気づくと自分の部屋に住みはじめていたこうもりと、とりとめのない会話をした思い出。とくになにかが起こったわけではない。いま思うと結構仲がよかったのだが、ひょっとしたら幻想だったのかも知れない。