第6回:吉見俊哉
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今回は芸術祭の中心的なトピックから少し離れて、社会学者で東京大学大学院情報学環教授の吉見俊哉さんをお呼びしました。東京五輪と東京一極集中の弊害に関する話題に始まり、東京都心北を再生するプロジェクトや、地方都市での芸術祭が持つ「日本を裏返す」ような可能性についてお話しいただきました。
まずは「復興五輪」とも言われた2020年の東京五輪の顛末について。関係者が立て続けに辞任し、演出をめぐるスキャンダルも話題になりましたが、そもそも「復興五輪」という言い方それ自体に誤りがあったのではないかと吉見さんは言います。震災からの東北復興をスローガンとして掲げながらも、実際に行われているのは東京湾岸の再開発であり、このことは東京への一極集中と地方の衰退を加速させてしまうと考えられます。コロナの流行で表面化したように、東京への一極集中は日本にとって大きなリスクとなります。1964年の東京五輪は経済成長の象徴として機能しましたが、60年代的な成長社会に限界が見え始めた今こそ、「循環型成熟社会」を目指すべきなのではないかと言います。「より速く、より高く、より強く」という成長主義的な社会から、「より愉しく、よりしなやかに、より末永く」という循環型の社会への転換です。
そこで重要になるのが、東京都心北の地域を再生し、「東京を裏返す」という視点です。谷根千や上野から神田神保町に至る一帯の地域には、歴史文化遺産や大学街、イベント空間など、近世・近代・現代と時代をまたぐ東京の文化資源が集中しています。これらを中心に据えた「東京文化資源区」として都心北の地域を捉え直すと、近代化・巨大化・高速化に伴って失われた都市の記憶を再生する萌芽を都市の隙間に見出すことができると言います。例えば、谷中HAGISOや3331 Arts Chiyodaは、空き家や廃校をリノベーションしたまちづくりの事例として注目を集めており、都市の隙間を地域の拠点へと再生するという意味で「地と図の反転」が起きていると言えます。これが「東京を裏返す」ということです。
この考え方をもとにして、地方都市での芸術祭は「日本を裏返す」ような可能性を持っていると言います。「大地の芸術祭」や「瀬戸内国際芸術祭」に何度か訪れたという吉見さんですが、特に「奥能登国際芸術祭2020+」が印象的だったと言います。まず古い民家の立派な佇まいに圧倒され、廃校や空き家などに展示されたアート作品を巡るうちに地域の記憶が蘇っていきます。ここで作品が展示されている廃校や空き家の多くは、近代から現代に至るまでの過程で打ち捨てられてしまった、都市の隙間のような場所です。それゆえ、アート作品を通じて都市の隙間で地域の記憶を蘇らせることは、近代の日本を裏返すような意味を持ち得ると言えます。また、能登の位置する日本海側は東アジア諸国ないしユーラシア大陸に向かって開かれており、日本海側を起点に日本を捉えると、朝鮮半島との関係など日本列島の歴史的な背景が浮かび上がってきます。吉見さんのお話を受けて北川は、「最涯(さいはて)の芸術祭、美術の最先端。」(「奥能登国際芸術祭」のテーマ)とあるように、さいはてだからこそ「裏返す」ような価値の転換を起こすことができたのではないかと結びます。今回は、このレクチャーシリーズの前提でもある「芸術祭」というものを捉え直すようなお話を伺うことができました。
[2022年3月14日、アートフロントギャラリー](文責:江尻)