山上の垂訓
ディアテッサロン8:26-
マタイ5章、ルカ6章
さて、イエスは目を上げ、口を開き、彼らに教えられた。
「へりくだった人々は、幸いである/その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである/その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである/その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである/その人たちは神を見る。
平和を造る人々は、幸いである/その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害された人々は、幸いである/天の国はその人たちのものである。
人々があなたがたを憎むとき、また、人の子のためにあなたがたを排斥し、罵り、その名を悪しきものとして捨て去るとき、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
しかし、富んでいる人々、あなたがたに災いあれ/あなたがたはもう慰めを受けている。
今食べ飽きている人々、あなたがたに災いあれ/あなたがたは飢えるようになる。/今笑っている人々、あなたがたに災いあれ/あなたがたは悲しみ泣くようになる。
皆の人に褒められるとき、あなたがたに災いあれ。彼らの先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
「しかし、聞いているあなたがたに言っておく。あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられようか。もはや、塩としての力を失い、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
また、灯をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家にあるすべてのものを照らすのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、天におられるあなたがたの父を崇めるようになるためである。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、明るみに出ないものはない。聞く耳のある者は聞きなさい。」
「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。
よく言っておく。天地が消えうせ、すべてが実現するまでは、律法から一点一画も消えうせることはない。
だから、これらの最も小さな戒めを一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さな者と呼ばれる。しかし、これを守り、また、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。
言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。
しかし、私は言っておく。きょうだいに腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。きょうだいに『馬鹿』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、ゲヘナの火に投げ込まれる。
だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、きょうだいが自分に恨みを抱いていることをそこで思い出したなら、
その供え物を祭壇の前に置き、まず行って、きょうだいと仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。
あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときには、途中でその人と早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるに違いない。
よく言っておく。最後の一クァドランスを支払うまで、決してそこから出ることはできない。」
「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
しかし、私は言っておく。情欲を抱いて女を見る者は誰でも、すでに心の中で姦淫を犯したのである。
右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。体の一部がなくなっても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがましである。
右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨てなさい。体の一部がなくなっても、全身がゲヘナに落ちないほうがましである。」
「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と言われている。
しかし、私は言っておく。淫らな行い以外の理由で妻を離縁する者は誰でも、その女に姦淫の罪を犯させることになる。離縁された女と結婚する者も、姦淫の罪を犯すことになる。」
...9章へ続く
9章
「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。誓ったことは主に果たせ』と言われている。
しかし、私は言っておく。一切誓ってはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。
地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは偉大な王の都である。
また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。
あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪から生じるのだ。」
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と言われている。
しかし、私は言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。
あなたを徴用して一ミリオン行けと命じる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい。
求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。
あなたの持ち物を奪う者から取り戻そうとしてはならない。
人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」
「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と言われている。
しかし、私は言っておく。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
天におられるあなたがたの父の子となるためである。父は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるか らである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
罪人でも、愛してくれる人を愛している。
また、自分によくしてくれる人によくしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。
返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
あなたがたの父が慈しみ深いように、あなたがたも慈しみ深い者となりなさい。
あなたがたが自分のきょうだいにだけ挨拶したところで、どれだけ優れたことをしたことになろうか。異邦人でも、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたは、天の父が完全であられるように、完全な者となりなさい。」
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いが受けられない。
だから、施しをするときには、偽善者たちが人から褒められようと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。よく言って おく。彼らはその報いをすでに受けている。
施しをするときは、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを隠すためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
「また、祈るときは、偽善者のようであってはならない。彼らは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈ることを好む。よく言っておく。 彼らはその報いをすでに受けている。
あなたが祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなた に報いてくださる。
祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。彼らは言葉数が多ければ、聞き入れられると思っている。
彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」
弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください」と言った。
そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
『天におられる私たちの父よ/御名が聖とされますように。
御国が来ますように。/御心が行われますように/天におけるように地の上にも。
私たちに日ごとの糧を今日お与えください。
私たちの負い目をお赦しください/私たちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。
私たちを試みに遭わせず/悪からお救いください。』
もし、人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたをお赦しになる。
しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
「断食するときには、偽善者のように暗い顔つきをしてはならない。彼らは、断食しているのが人に見えるようにと、顔を隠すしぐさをする。よく言っておく。彼らはその報いをすでに受けている。
あなたは、断食するとき、頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
あなたの断食を人に見られることなく、隠れた所におられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あ なたに報いてくださる。」
「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
自分の財産を売って施しなさい。古びることのない財布を作り、尽きることのない宝を天に積みなさい。」
「あなたがたは地上に宝を積んではならない。そこでは、虫が食って損なったり、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
宝は、天に積みなさい。そこでは、虫が食って損なうこともなく、盗人が忍び込んで盗み出すこともない。
あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
「目は体の灯である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
目が悪ければ、全身も暗い。だから、あなたの中にある光が暗ければ、その暗さはどれほどであろう。」
「腰に帯を締め、灯をともしていなさい。
主人が婚礼から帰って来て戸を叩いたら、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。」
...10章に続く
10章
「誰も、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を疎んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また体のことで何を着ようかと思い煩うな。命は食べ物よりも大切であ り、体は衣服よりも大切ではないか。
空の鳥を見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。まして、あなたがたは、鳥よりも優れた者ではないか。
あなたがたのうちの誰が、思い煩ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。
こんな小さなことさえできないのに、なぜ、ほかのことまで思い煩うのか。
なぜ、衣服のことで思い煩うのか。野の花がどのように育つのか、よく学びなさい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。
また、思い悩むな。
それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみな、あなたがたに必要なことをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。
だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
「人を裁くな。裁かれないためである。
人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められない。赦しなさい。そうすれば、自分も赦される。
与えなさい。そうすれば、自分にも与えられる。人々は升に詰め込み、揺すり、溢れるほどよく量って、懐に入れてくれる。
何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは、自分の量る秤で量られ、さらに加えて与えられる。
持っている人はさらに与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」
イエスはまた、たとえを話された。「盲人に盲人の手引きができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。
弟子は師を超えるものではない。しかし、誰でも、十分に訓練を受ければ、その師のようになれる。
きょうだいの目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある梁に気付かないのか。
自分の目にある梁は見ないで、きょうだいに向かって、『きょうだいよ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。偽善者よ、まず、自分の目から梁を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、きょうだいの目にあるおが屑を取り除くことができる。」
「聖なるものを犬に与えてはならない。また、豚の前に真珠を投げてはならない。豚はそれを足で踏みつけ、犬は向き直って、あなたがたを引き裂くであ ろう。」
また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちの誰かに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを 三つ貸してください。
友達が旅をして私のところに着いたのだが、何も出すものがないのです。』
すると、その人は家の中から答えるに違いない。『面倒をかけないでくれ。もう戸は閉めたし、子どもたちも一緒に寝ている。起きて何かあげることなどできない。』
しかし、言っておく。友達だからということで起きて与えてはくれないが、執拗に頼めば、起きて来て必要なものを与えてくれるだろう。
そこで、私は言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる。
誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。
あなたがたの中に、魚を欲しがる子どもに、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い。そして、そこから入る者は多い。
命に通じる門は狭く、その道も細い。そして、それを見いだす者は少ない。」
「偽預言者に注意しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲な狼である。
あなたがたは、その実で彼らを見分ける。
木はそれぞれ、その実で分かる。茨からいちじくは採れず、野ばらからぶどうを摘むこともない。
すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
善い人はその心の良い倉から良い物を出し、悪い人は悪い倉から悪い物を出す。およそ心から溢れ出ることを、口は語るのである。
良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」
「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。天におられる私の父の御心を行う者が入るのである。
その日には、大勢の者が私に、『主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をたくさん行ったでは ありませんか』と言うであろう。
その時、私は彼らにこう宣告しよう。『あなたがたのことは全然知らない。不法を働く者ども、私から離れ去れ。』」
「私のもとに来て、私の言葉を聞いて行う者が皆、どんな人に似ているかを示そう。
それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて家を建てる人に似ている。洪水になって水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、びくともしなかった。
雨が降り、川が溢れ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
私のこれらの言葉を聞いても行わない者は皆、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に似ている。
雨が降り、川が溢れ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」
...11章に続く