「推し事」について
#2025 #推し事 #Gemini
※ここでの「推し事」とは「バーチャルYouTuber(VTuber)やバーチャルシンガー(VSinger)を好んで鑑賞することを趣味とする」ことを指すものとする.
2018年の12月に月ノ美兎を見つけたことがきっかけで6年以上もVTuberのオタクを続けている.これまでに推しがコロコロコロコロ変わったし,かつては依存しすぎて思考が狂ったこともある.何をするにも推しの配信リアタイを最優先し,推しの趣味を全てマネすることがあった.
いわゆる「杞憂民」だったこともある.推しが体調を崩した時や,寝落ち配信をし続けたことに対して過剰に心配し倒し,心無いお気持ちをぶちまけたことがある.今となっては大反省すべきことだ.
そんな杞憂民や「ユニコーン」にならないためには何を心がければよいだろうか.そもそも推し事とは何が良くて何に気をつけなければならないのか.Geminiにも聞きながら書き殴ってみる.
無論ここに書くのは個人の意見であり,かなり偏った視点も含まれている点に注意されたし.
推し事のメリット
心の安定と癒し: 推しの動画を見ることで、ストレス解消や心の安定につながる場合があります。共感できる部分を見つけたり、励ましの言葉をもらったりすることで、孤独感を軽減し、生きる喜びを感じられる人もいます。
モチベーションの向上: 推しが目標に向かって努力する姿を見ることで、自分も頑張ろうという気持ちになることがあります。また、推しと同じ趣味を持つことで、新たなコミュニティに属し、モチベーションを維持できる場合もあります。
自己肯定感の向上: 推しから肯定的な言葉をかけられたり、共感されたりすることで、自己肯定感が高まることがあります。特に、自分に自信が持てない人にとっては、大きな心の支えとなる場合があります。
創造性の刺激: 推しのキャラクターや世界観からインスピレーションを受け、創作活動を行う人もいます。ファンアートを描いたり、小説を書いたりすることで、自己表現の場を得られます。
推しに惹かれる要因は単にコンテンツの面白さや本人のキャラクターに惹かれる事に加え,「推しやリスナーをはじめとした理解者(同志)を見つけられる」という側面も大きい.ネット上で各々の境遇や楽しみを分かち合えることで安寧と癒しが得られ,転じて自己肯定感があがるきっかけにもなるだろう.
事実自身もその側面があり,病床の推しに自身のメンブレを理解してもらい,応援してもらったことが大きな励みとなっている.
「推しが頑張ってるから俺も頑張らなきゃ」という感情はVTuberに限らず,任意の推しを作ると大半が生まれがちな感情ではないだろうか.目標を成し遂げる過程や苦境からの復帰,立ち直りの最中だと一層応援と共感の気持ちが生まれてしまうのは何も間違いではない.程よく共感し,共感されるきっかけにはなるだろう.
バーチャルという特性を活かし,非現実的でファンタジックな世界観設定を有した者も多いため,二次創作が非常に盛んなのも特筆すべき点である.オリジン(中の人)の行動や発言に応じて,リアルタイムでキャラクター設定が更新されていく点が非常に興味深く,味わい深いポイントだろう.
オリジンのキャラクターに起因した創作も多いが,KAMITSUBAKI Recordsのバーチャルシンガーやヒメヒナ,somuniaなどは特に設定を遵守していることから非常に濃密な世界を体感することができる.
とりわけヰ世界情緒が所属するKAMITSUBAKIは「共創」を掲げており,ヰ世界情緒自身も創作をすることからリスナーのコミュニティでは二次創作がとても盛んである.自身もそれに感化された一人であり,ジェネラティブアートやARコンテンツの制作モチベのほとんどは彼女に由来する.
推し事のデメリット
現実逃避: 現実の問題から目を背け、仮想の空間に逃避してしまう可能性があります。過度な依存は、社会生活や学業に支障をきたす場合もあります。
経済的な負担: グッズ購入やライブチケット代など、推しへの支出が膨らみ、経済的な負担となることがあります。
精神的な依存: 推しに依存しすぎて、日常生活に支障が出る場合があります。たとえば、推しに関する情報収集に多くの時間を費やしたり、推しの活動に一喜一憂したりすることで、精神的に不安定になることもあります。
人間関係の疎遠: 推しに夢中になりすぎて、周囲の人とのコミュニケーションが減ってしまうことがあります。リアルな人間関係よりも、仮想のキャラクターとの関係を優先してしまう場合もあります。
経済的負担は最たるものだろう.VTuberといえば桁外れのスパチャ収益が有名だが,一時の感情をスパチャに込めて顕示するのは大変コスパが悪いことを肝に銘じるべきである.スパチャへのフィードバックが手厚い場合や,記念日や周年日に投げるのは大いに構わないと思うが,個人的には物理的なリターンがあるグッズへの出費のほうがはるかに健全だと思っている.周年グッズやお誕生日グッズ,現地イベントやライブなど衝動で財布の紐が緩む機会は沢山あるが,グッズを配置したり身にまとう空間は有限であるため,本当に必要かどうかは熟考すべきである.
かつては自分もアクスタや缶バッジを思考停止気味に収集していたが,置き場所がなくて押し入れに眠ったものもあった.そして推し変をしてしまい,引越しに伴ってそれらを売却する機会があった.当時の虚無感は今でも忘れない.これを経た後は「アパレルや日用品のような消耗品」を主に購入している気がする.無限に活動するわけではない推しと共に朽ちていけるように,有限の時を一緒に生活してくたびれたり傷付いていける点にエモさを感じているのかもしれない.
そもそも我々の生活の質を犠牲にしてまで出費をするべきではない.推しが豊かになったところでこちらが豊かになるわけもないのである.汝散財をアイデンティティとすることなかれ.マジで.本当に.
VTuberのリスナーは結構な割合で不登校や無職,超ド級のコミュ障が散見される.SNSが当たり前になった昨今,一方向の発信が容易なインターネットが居場所になることはままあると思われるが,社会性がない(インターネットリテラシーがない,自己顕示欲が暴走してドッジボールをしまくる)ことに加え,現実世界に居場所がない=コミュニケーション能力や人間関係の形成能力に癖があることが非常に多く,時に頭を悩ませがちな点でもある.Xならまだしも,これはDiscordなどある程度閉じたコミュニティを形成すると顕著な課題となる(無論自分も人のことを指摘できたものではないが).
初期ほど空気感を知り,あくまでも社会性と客観性を考慮した上でコミュニケーションを慎重にとる事は経験則的に重要だと感じている.これに気をつければ無意識に溢れ続ける自己顕示欲のコントロールも何となくできてくる.つくづく「半年ROMれ」とはいい言葉である.
そして重要な問題は「精神的に依存しすぎる」ことだろう.推しのプライベートや不運,傷病は確かに気がかりであり,心配だが,それに共感しすぎるあまり歪んだ感情を利己的にぶつけてしまわないように気をつけねばならない.「ユニコーン」や「杞憂民」はこのいきすぎた自我が原因であり,結局推しのことを考慮していないお気持ちとしてネガティブな印象を与えかねない.
我々はあくまでも観測者であり,推しの意思決定やキャラクターに干渉する余地は原則ない.自我を有した推しが自我を持って紡いだイベントに立ち会えるのみであり,その運命を変えることはできない.故に絶対的なリアルタイム視聴にこだわる必要性はないのではないだろうか.私達はアーカイブや切り抜きで,いつでもその時間軸に飛び,補完することだってできるのだから.
推しのすべてを受け入れ,知る必要もないと思っている.自身のキャパシティと感性に全てのコンテンツがマッチするとは必ずしも限らないし,自然体に反するものを受け入れ続けようとしてもそれは義務感として苦になっていくだけである.
どう向き合うべきか
推し活は、心の豊かさにつながる素晴らしい活動です。しかし、依存しすぎると、生活や精神面に悪影響を及ぼす可能性があることを忘れないでください。健全な推し活を送るためには、以下の点に注意しましょう。
経済的な計画: 推しグッズを購入する際は、予算を立て、計画的に買い物をしましょう。
オタクである以上出費は仕方ない.はたらこう.しかし上述の通り自身の生活を犠牲にすることをアイデンティティとするのは愚かである.
現実とのバランス: 推し活だけでなく、学業や仕事、人間関係など、現実生活も大切にしましょう。
私達は現実世界を生きる一人の人間である.学生であれば勉強し,社会人であればお金を稼ぐために働かなければならない.あくまでも人生の主人公は自分であり,辛苦の中で自己の願望を実現するために生きることが第一である.そんな世界をみんなで生き抜き,生の喜びを分かち合うことこそが本意ではないだろうか.
周囲の人とのコミュニケーション: 推しについて、家族や友人と話すことで、冷静に自分を見つめ直すことができます。
身内との交流だけでなく,社会性は外に出て様々な人と対面で交流しないと身につかないと思っている.SNS上の交流のみだとどうしても字面からの情報のみで印象を決めがちであり,VCも距離感を掴むには少々難がある.インターネットに引きこもらず,オフ会やイベントでの邂逅などで実体を伴ったコミュニケーションをすることで,マルチモダリティによる印象の改善や意思疎通の円滑化が期待できるだろう.
多様な趣味を持つ: 推し活だけでなく、他の趣味も持つことで、生活にメリハリをつけましょう。
オタクであることも立派な趣味だが,個人的には推しに感化されてなにか頑張ったり,自己表現の手段を身につけることが有意義ではないかと感じる.「推しに依存するのではなく活かされ,自己実現へと昇華する」ことが,私が6年間VTuberのオタクを経てたどり着いた答えである.
推しを信頼する:これは自身の意見であるが,厄介な感情に囚われ,杞憂民にならないためには推しを信じることも重要であると考えている.
推し,すなわち中の人たちも生計を立てる社会人の一員であり,体調管理や公私の区別は当然できるという信頼を持つべきである.パーソナルスペースをどこまで開示し,踏み込んで良いかは本人たちに委ねられているものの,本当にしんどい時やまずい時は運営が介入するため,基本的に好んでVTuberという仕事をしているであろう彼/彼女たちの意志を尊重し,信じてあげるべきだ.
その他
最近Xで流れてきたツイートたち.刺さった.自戒.
@himono_grad: 社会生活を破壊しない程度の小規模な創作活動(要するに趣味ですが)を誰も肯定しなさすぎなんだよな。新人賞じゃなくても、自分のために日記を書いてみたり、ギターで有名になろうとしなくても、フォロワー数十人に弾き語りを披露してみたり、そのくらいのことで喜べるようになってほしい
肯定しないというか,天才たちの創作が台頭しすぎて心理的ハードルが上がりすぎている.(特にKAMITSUBAKIはこれが公式から創作を働きかけてくるので顕著すぎる)
自己表現はどんな形であれアイデンティティの形成と自己実現に寄与するので,クオリティ関係なく軽率にするべきである.もちろん創作規約を遵守したうえで.
@w_saya: 最近は趣味にすら沼だのガチ勢だのと「狂い」や「本気」を要求されるのがしんどいと思う時がある。
これはSNSという偏る観測点により他人と比べられやすい構造になっているからだと感じている.オタクであることに全福のアイデンティティを注ぎ込まない限りはそんなことを意識する必要はない.自分が負担にならないペースと熱意で好きに推すべきである.
でもオタク特有の怪文書は好きなのでたまには狂ってほしい気持ちはある
@panyamasao: 9割のオタクは熱しやすく冷めやすいので、純粋に応援できる期間の限界は3ヶ月。それを超えると欲が生まれて喧嘩をするようになるか、飽きがきて別の人を推し始める。でもそれを乗り越えると絆が芽生えるので3ヶ月を超えた時が1番の勝負。3年超えてる人は老夫婦のようなもん
これはまーーーーーーーじでそう.
でもこれは全てを追わねばならないという義務感を捨てるだけで比較的容易に達成できるかもしれない.深度は違えどあなたは推しのことが好きであることに嘘偽りはないはずである.
@hakuikoyori: 〜推し活で大切だと思うこと〜
●他のファンと自分を比べない(できることや金銭状況は人によって違う。できないことは悪じゃない)
●やりたいことだけやる(「無理して頑張って」推し活するのはしんどくなっちゃう。無理してしんどくなっていなくなっちゃうより、楽しく永く応援してほしい)
●「好きでい続けてくれること」「来られる時に配信に会いにきて楽しんでくれること」が何より嬉しい
●自分より応援できてる人が羨ましくなる気持ちはわかる。そんな時は「いつかできた時の喜び」を楽しみに力を溜めよう
ホロライブの博衣こよりさんがツイートしたもの.端的に重要なポイントをまとめており,非常に良い
こんな長文読むよりこのツイートひとつで解決する.はい