第25章 市民権
それでも、アメリカは移民にたいしてただちに開放的になったわけではなかった
これは容易に想像がつくなー。日本もたぶんまだまだなんだよね。まぁ実際に課題もあるわけだからな。。。
二〇一六年にフロリダのナイトクラブでアフガニスタン人の両親をもつアメリカ人が四九人を射殺した恐ろしい事件が起こったとき、犯人が多数派の人物だった場合とは異なる、いっそう強い怒りが引き起こされた。
普通に自分もやりがちなので、はっとする部分だった。
市民権の件を読んでいて、最近自分がおもった「権利」と「義務」の関係における権利って概念が普通になったのは随分と最近なんだよなーっていうのをおもった。基本的人権とかそのあたり(義務を果たさなくても保証される権利とか)。
市民権が平等に与えられている、という事実を見たら、差別はなくなったんだなあとこれまで感じていた気がするが、この章を読んで、差別の解消に向けた一歩として市民権は本当に一部分でしかない印象を持った。
章で出ていた一つ一つの事例は、そういうこと確かに起きてもおかしくないよね、というものだったが、事例の一つ一つが重かったので、自分と異なるしるしを排除しようとする動きの根深さを感じた
マイケルジョーダンがある州の黒人初議員を支援しなかった(というように受け取られている)ことが大きな問題になったのとかも、このへんの動き?を彷彿させるなーっておもった。(MJは実際には「知らない人をいきなり支持することはできないし、相手の共和党もエアジョーダンを買ってくれるんだから特別扱いするわけにはいかない」って趣旨をバス移動中に雑談で話しただけなんだけど)
知的な問題ではなく、ありかたにかかわる問題なのだっていうの、本当にいろんな人に理解してほしいなーっておもった。