頭のいい人が話す前に考えていること
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安達裕哉
ハッキリ言ってめちゃくちゃ引っかかる箇所が多くて内容が頭に入ってこない。要するに著者が言う「頭のよい」語り口を著者自身が本書ではしていない。
たとえば著者は自分は決して頭がよくはない、と言う。中学高校と成績は下のほうだったし、なんとか一浪して大学に滑り込んだものの.....というのだが、調べてみたら著者の安達裕哉、筑波大学大学院の環境科学研究科出身。大学院????
たまたまプログラミングが人より得意だったからなんとかデロイトトーマツコンサルティングに入っただけで.....みたいなこと書いてるのだが普通の人はプログラミングができるような人を賢いと言う。
もうこの時点で説得力がないというか、読者をよっぽどバカにしてるだろうと。だってこんなこと言われて自分で著者プロフィールを見たり調べたりすらしない人間、もしくは言われるがまま「そうかー、安達さんもできない人だったんだ」とすぐに納得してしまうアホだと読者を思っていなければ、こんな書き方できない。
つまり、著者は元から賢すぎて、だから他人に伝わらなかったのが、他人に伝わるように賢くある、賢いと認められるための方法を身につけたんだろうなって、普通に考えながら読むような読者であれば思わざるを得ないと思う。
その後も問いを投げかけてそのまま答えない=サスペンス的な書き口が多く、読者の中に引っかかりや覚えなければいけないことをたくさん用意する語り口で、これって他方で読者のことを「自分と近い知的レベルにある」=賢いと無条件に前提としている。「この問いが気になった人は続きを読み進めてください」→「北野武監督の映画『アウトレイジ』では....」って、話が入れ子すぎる。相手にメモリを大量消費させる語り方で、これは相手が賢くないとなかなか通じない。
前半で「話し方だけ賢くしようとするな」と言っていて後半で「バカな話し方をやめろ」と言う。矛盾とまでは言わない、むしろ著者の中で整合性はあるし、それも補って理解できるけど、こういう接続の仕方が多く「頭のいい人の話し方という割に頭あんまりいい気がしないというか、頭よすぎるのでは?」ってなる。