赤いスイートピー
https://youtu.be/w866QZJFbcE?si=IzymdVB42Ve23Fhy
そう思って歌詞を読むと、一見ウブな男女のよくある純情を歌っているようで、ところどころが引っかかる。「何故知り合った日から半年過ぎてもあなたって手も握らない」だとか「あなたと同じ青春走ってゆきたいの」だとか「あなたの生き方が好き」だとか。作詞者は意図していないかもしれない。当時一般的には「そう」考えられてたかもしれない。けれどもこの曲を異性愛の「男女」の歌だと必ずしも想定しなければならない理由も特にないのである。 「手も握らない」のはなぜか。まず思いつくのは「別に好意が特にない」という可能性だろう。もしくはそれができるほど「あなた」が大胆ではないからだとも考えられる(実際「ちょっぴり気が弱い人だけど素敵な人だから」と「あなた」は形容されている)。
でも握りたくても「手も握らない」理由なんて他にもある。教師と教え子の関係だとか歳がかなり離れているとか(「タバコの匂いのシャツにそっと寄りそうから」)。そうやって考えていくと、手くらい握ってもいいのに「手も握らない」のは「あなたとわたしは同性だから」だという可能性にも思いいたる。そう気づいて歌詞を聴きかえすと、「あなたと同じ青春走ってゆきたいの」「あなたの生き方が好き」は歌い手のセクシャリティの自覚や、「あなた」のそれを肯定していると、そしてその結実が「線路の脇のつぼみ」=「赤いスイートピー」だとも読める。 心象と風景を重ねながら同時に描くその手法も見事なら、「ちょっぴり気の弱い」、どちらかと言うと経験があまりなさそうな年上の「あなた」と、「半年も過ぎれば手くらい握って当然」とさらりと歌ってしまえるほどには経験が豊富な年下のI=「わたし」(「好きよ 今日まで逢った誰より」ということは「それ以前」があるということだ)という、この人物造形もたまらない。ここらへんも男性カバーが多い理由の一つだろう。
歌詞で心情や状況を実に自然にさりげなく展開しながらも、「春色の汽車に乗って海へ連れていってよ」「四月の雨に降られて駅のベンチで二人」「線路の脇のつぼみは」と、松本隆の「カメラ」は視点を次々に移動させ、その景色をあますところなく、聴き手の心に浮かばせる。
カメラの移動もド派手なら、時間感覚のジャンプ率も実にダイナミックだ。「四月の雨に降られて」と「知り合った日から半年過ぎても」とあるから、出会った日は具体的に10月頃だとわかるのだが、一番では「何故知り合った日から半年過ぎてもあなたって手も握らない」とマンスリーなタイム感覚だったのが、二番では「何故あなたが時計をチラッと見るたび泣きそうな気分になるの?」と秒針を見つめているこの対比の素晴らしさ。 そしてわたしの気持ちは曲が進むに連れてどんどんどんどんクレッシェンド、加速していく。歌い出しこそ「春色の汽車に乗って 海へ連れていってよ」と受身だが、サビでは「I will follow you あなたについてゆきたい」と積極的に「わたし」は「あなた」に「ついていく」と歌われる。それでも「あなた」の後ろを歩いていたのだが、それが二番のサビでは「翼の生えたブーツで」「あなたと同じ青春 走ってゆきたいの」とますますアクティブ、アグレッシブになり、最後のサビではいよいよ抑えきれず、 好きよ今日まで
逢った誰より
I will follow you あなたの
生き方が好き
このまま帰れない 帰れない
と心情をこれ以上なくまっすぐに吐露してしまう。
ここにはもう「あなた」を「待つ」、「あなた」におとなしく「ついてゆく」わたしの姿はない(I will follow youのニュアンスも「あなたの生き方が好き」と続くことで、まったく変わってしまっていることに注意)。「このまま帰れない」「このまま帰れない」と二回も繰り返されるが、これ、もうほとんど「このまま帰さない」だろう。
繰り返されるI will follow youのリフレイン。女性は男性に「ついてゆく」べきだという当時の規範を表面でなぞり]ながらも、その意味を完全に書き換えてしまっているこの曲は、価値観の転倒という意味で、そう言ってよければたまらなく「ロック」なのだ。