落語で大事なのは噺であって噺家ではない
moriteppei.icon 自分にとって落語は「話」がメイン。噺家はあくまで脇なんだよね。志ん朝は志ん朝のやる話が聞きたいんだけど、談志は談志を聞きたいからそのために話がある感じだよなと。レストランで自分にとって大事なのは食事。料理。シェフはそのためにいる。あまりにおいしい料理を食べたら「一体どんな人がどうやって作ったんだろう?」は気になるけれど。
moriteppei.icon 話が料理で噺家がシェフ。だとすると話の元となるネタが食材になるんだけど、その食材ってのが、そのままだと「おいしく食べる」のが難しい。今の人からしたら理解しにくかったり、ピンとこなかったり、人権意識に反していたり。そこをそれ、さまざまな工夫を凝らして「江戸という料理です」と美味しく提示するのが噺家なんだけど、マクラでできることかなり多いんだなって志ん朝みたいな落語家聞いてると思うよね。