笑い
では、そもそも 「笑い」 とは何なのか。それを一から考えようとしたとき、 未だに私たちはベルクソンの『笑い』以上の本を持っていないことに気づく。尤も、 ベルクソンの 『笑い』に対しては批判も多い。 ベルクソンが描く社会による矯正としての笑い、 (風刺的、 否定的な嘲笑) に対して、 “民衆による祝祭的な笑い (広場的、 肯定的な哄笑) を強調するバフチンの議論、あるいは、その延長線上に“デュオニュソス的な笑い〟 を持ってくるニーチェーバタイユの議論などは、 なるほどベルクソン以上の視点を提示しているかに見える。 が、 バフチンにしてもバタイユにしても、 ベルクソンの 『笑い』 を、 まずは自らの議論の土台としていることに違いはなく、その上でベルクソンの議論の全体というよりは、 その一部に修正を加えているというのが正確なところだろう。その意味では、 今もって 「笑い」 を理解する一番の近道は、やはりベルクソンと共に歩いてみることだと言ってよい。反戦後論 浜崎洋介 ・ 248ページ