生を祝う
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うーん......。
これ、どういったものか......。『独り舞』よりかは退屈だが『彼岸花の咲く島』よりかは読むところがある、ような.....。
まず、設定に無理がある。これは著者も百も承知だろうから、あくまで「語るため」の結構なんだろう。それはいいとして、そこでは最初からなされるべき生誕をめぐる哲学的考察がほとんどスルーされたまま、「これは本当に子どもの意思確認なのか?」という対立がこれからどんどん論じられまっせ!って流れなので「早くしろよ」と思ってしまうというか.....。
そんなん、まずこの設定聞いたら、最初の最初に「いや、そらムチャクチャやろ」で完、って話なんで。
それでも流れとしては、まあ「そういう流れになるんだろうな」「こういう振りなんでしょうな」が、まんまひねりなく展開されていて......。中の描写も、彼岸花のときもそうだけど、ほとんどが情報の羅列なんですよね。だから文学的なおもしろみ、味わいみたいなのがかなり薄くて、飛ばして読んでも読めちゃうなっていう。
moriPhone — 今日 11:07
この著者はどうも苦手みたい。苦手なポイントは二つある。一つは哲学的な思考が浅いこと。なんか「お勉強」って感じ。あまりフィロソフィカルマインドない人たちに対して、ないこと前提で話組み立てたりするので、え?浅くない?と。論じるためのスタート地点が話のゴールだったりするので「え?そこからなのにそこで終わるの?」ってなってしまう。
もう一つは彼女の文章からはどうも怒りというより憎しみを強く感じてしまうこと。
moriPhone — 今日 11:14
憎しみもユーモラスなものであれば受け止められるけど……。
生まれる前におなかの中の赤ん坊に「生まれたいか」を聴く、って設定なんだけど、これを聞いてまず思うのは「それってどういう意味での"意思決定”と言えるのか」って疑問を持つんだけど、150ページ読んで「本当にそれって赤ちゃんの意思なのかな?」みたいな話が出てくると「おっそ!」となってしまう。
moriPhone — 今日 11:33
あと、この人、なんだかんだで「何が正しいかわからない」に毎回結論を落とすんだけど(彼岸花もそう)、それって「決めつけはしない」「読者に考えさせる」と言うと聞こえはいいけど、容易に「逃げ」にも転嫁されてしまうじゃないですか。
それも小説としてオープンクエスチョンだなーって読者が受け取れるような終わり方をするのはまあ、まだ許せるけど、本当に「何が正しいかわからないけど」って毎回言わせる(笑)。
これ、「正しいことはわからないのでどちらにもコミットしない」って中立の人と何が違うんだろうっていう。
もちろん小説の中の登場人物はコミットはする。どちらかの選択にコミットはするんです。彼岸花であれば男の人にもノロになり歴史を学べるようにしようという決心をする。この作品であれば子どもをやっぱり生まないという決定はする。そこが決定的に違う。
けれどもトピックによっては「何が正しいかわからない」と明言するだけで、逃げでしかないよね?ってなるトピックもあって、出生なんてまさにそれじゃないですか?
胎内にいるとはいえ、「意思を確認できる」時点で人格を持っているということになってしまうので.....。
そこらへんの「深く考えているようでめちゃくちゃ浅い」感も見ていてハラハラする。
とまあ、いろいろ理由はつけるのだけど、どうもやっぱり文学的な「味のなさ」が決定的に合わないんだと思う。でも、そう思う自分はかなり文学にロマンチックな思い入れがあるだけで「そんなん古いよねー」って世代や人(あんまり実存的な、人の気持ちとか、そういうのだるいみたいな人)からすると「むしろスッキリしてていいじゃん」って話なのかもしれない。そういう意味での「おっさん黙ってろ」っていう。