明烏
https://youtu.be/bb4MTLMLacQ?si=ZpEPvT71aUDvDU6p
古今亭志ん朝、これもすごいよな。兄の馬生が「そそっかしくも」亡くなったのでピンチヒッターってんで、この噺。でも、全然引っかからない。女などと言わず「ご婦人」。「男と生まれた以上嫌いだなんて人はいないんです」と言われるとひっかかるが、「好きには程度がある」「あまりにも好きすぎて女になりたい」なんて男もいる、とふれていては実は「そんなの人によるんで一概には言えないんですよ」というエクスキューズになってる。 このマクラがあることで「本当に女性と寝るのが嫌な男性」というイメージもこの後入りやすくなっていて、堅物若旦那というキャラクターを受け入れやすい。若旦那が「本当は女好きなくせに我慢してる」だとこの後の話は結局「性欲とそれを理性で我慢している綱引きバトル」になってしまう。この話はそういう話ではない。
あまりにも硬い真面目な若旦那を社会勉強のため「稲荷様」だと騙して吉原に連れていく。この時点で「あかんやろ」なので、フツーは笑えない、引っかかる。今でもこういうことをしている人は社会にたくさんいる(ソープおごってやるよ)。落語で江戸をひきずる以上、完全にポリコレにすることは絶対不可能なのだが、それを違和感なくどこまで聞かせられるかが腕の見せどころだ。
若旦那を騙すために、茶屋を「お巫女のうち」だと言い張る。花魁を巫女とみなす価値の転倒と、本を読んでいてたくさんの知識も学もある人が、吉原と稲荷様の区別もつかない、世界について何も知らないという価値の転倒。二重の転倒、矛盾を引き受けながら、話が進むほど緊張が高まっていくそのカタルシス。途中若旦那を騙すために茶屋の女将は巫女がしらのふりをするのだが、噺家はだから単に女将を演じるのではなく、「巫女のフリをする演技が下手な女将」を演じなければならない。吉原の茶屋まであがって、自分たちが花魁ではなく巫女だと信じ込んでる目の前の人を見て思わず笑いがこらえきれなくなるところが第一のクライマックスで、そこまでの持っていき方がパーフェクト。本当に文句のつけどころがまったくない。
「あんたここは吉原というところでございましょ。あたくしは前に一度書物で読んだことがございます。なぜもっと早くに気がつかなかったんだろ.....」。書物ばっかり読んでるからである。この「一度書物で読んだことがある」のフレーズを入れているデリカシーが志ん朝で、こういうところが本当にたまらない。
どれだけいい思いしようが、あとで吉原にハマったので結果オーライだろうが、騙されて無理やり、望みもしないのに吉原に連れてこられた。この時点で堅物の若旦那は被害者でしかないのだが、この被害者の若旦那が、今度は悪気なく、吉原や花魁の文化に対してとことん失礼なことを言いまくる。見下す。
「それにこんな不浄なところに一時たりともいたくございませんので、どうかあたくし帰っていただきたいと思います」「穢れますから結構です」「冗談言っちゃいけません!女郎なんて買うとカサァかきますから」。
こんなド直球の差別発言で笑えてしまうのはなぜか。これ、若旦那がただのいい人で他者を見下すことがなかったとしたらどうだろうか。セックスワーカーに対する差別発言だからこの発言を抜くのはたやすい。この箇所だけ削除すればいいだけなんだから。でも、そうすると若旦那はただの被害者にだけなってしまう。若旦那は若旦那で、自分は「きれいなところ」にいたがる、だから本ばかり読んで勉強しているのだけれど、その結果、吉原のこと一つ知らないで、本一冊の知識だけで「穢れてる」「不浄」「カサかく」と他者を見下す。この見下していた人が吉原で「おこもり」したことで、考え方が変わる。きっかけは加害だったけど、それで偏見が一つ社会から薄れる。それがあるから、ただの「無理やりソープおごられた話」がギリギリ聞いていられる話になるのである。名演。 https://www.youtube.com/watch?v=t1s7ySxIBVM
春風亭一之輔の明烏。最初っからブスいじり.......。youtubeで公開されることを意識してるからだと思うが、やたら「よいこの子どもたちに教えてあげますね」ノリで花魁について触れるのが痛いし、その子どもに「魁!男塾」って言ってもわかんないでしょ。 若旦那のピュアな感じの演技は大変うまい。ただ、小さいくすぐりのために「カシワ煮13杯おかわりしてしまいまして」という「いや、それはないやろ」な過剰な設定にしてしまってる。志ん朝のパターンでは「お酒が飲めないのでと断ると」食べ物を勧められたという説明もあったが、それもここでは削除。小さい違いだけど、こういう積み重ねで話の入り方が変わってくる。
いっぱい目だけ酒を飲み、あとははいせんに流す、手を叩いてお勘定もキザだから......のくだり、志ん朝は一気に全部言い切ってしまうから爆笑になるが、一之輔は1回1回応酬はさむので、ここも勢いが薄いし笑いも薄い。
「お稲荷さんの鳥居とはすべからく赤いものだと思っていましたが」。本ばかり読んで、毎日「しのたまわく」ばっかり読んでるっていう硬い若旦那なのに、すべからくを「みんな」という意味で誤用してるの、説得力が下がってしまう。
「新青少年吉原入門という本の36ページでございます」。まず志ん朝のように「書物一冊」の「一冊」を抜かしてしまってる。36ページってこの時代に「ページ」って言葉があったんだろうか? あるような時代として演じてきてたならまだしも、演じてないのでこの時点で「嘘かー」となってしまう。
若旦那がなぜ吉原を嫌がるのか。春風亭一之輔のバージョンでは「親戚から何を言われるかわからない」。それ以外に理由の提示がないから「若旦那はとにかく他人からどう見られるかばかりを気にしてる」人に見えてしまう。
時代だから仕方ないけれど「カサぁかく」の一言もなし。結果、若旦那は身内からどう見られるかだけを気にしてる社会知らずの俗物で、無理矢理吉原に連れていかれたけど、単に自分のシモの欲求を肯定できずに「仕方なかったから」という言い訳だけ欲しかった人のようになってしまう。