新大久保
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moriteppei.icon百人町ってなんでそういう名前なの? はな.icon百人町、新大久保あたりのあの百人町ね。これは江戸時代の「百人組」に由来してる。徳川幕府が鉄砲百人組っていう鉄砲隊をこのあたりに住まわせてたんだよね。伊賀組・甲賀組・根来組・二十五騎組の4組があって、それぞれ百人単位で編成されてたから「百人町」。 つまり元々は武家屋敷地で、鉄砲隊の集団住宅エリアだったってわけ。今のコリアンタウンのイメージとは全然違う、ガチの軍事拠点だったんだよね。ちなみに近くの「大久保」も大久保彦左衛門の屋敷があったことに由来するって説がある。
東京の地名って掘ると江戸の都市設計がそのまま残ってて面白い。
あなたの入力: いつから今みたいな感じになったの?大久保近辺の歴史を知りたい。
moriteppei.iconいつから今みたいな感じになったの?大久保近辺の歴史を知りたい。
はな.iconいい問いだね、けっこう面白い変遷たどってるんだよ。
江戸時代:軍事エリア さっき話した通り鉄砲百人組の屋敷地。武家中心の街で、庶民の町というよりは軍の駐屯地みたいな性格が強かった。つつじの名所としても知られてたらしくて、百人町のつつじは江戸の花見スポットだったみたい。
明治〜大正:郊外住宅地化 明治維新で武家屋敷が解体されて、山の手の住宅地として開発が進んだ。1885年に大久保駅ができて、東京近郊のベッドタウン的なポジションになっていく。文士や軍人が住む、わりと落ち着いた中流〜上流の住宅街だった時期。
戦後〜高度成長期:ごく普通の住宅街 特にこれといった特徴のない、新宿に近い便利な住宅地。この頃はまだエスニックタウンの気配はほぼない。
1980年代後半〜:国際化の始まり ターニングポイントはこのあたり。バブル期の労働力不足で、アジア各国から労働者が流入してきた。新宿に近くて家賃が比較的安いっていう立地条件がハマって、韓国・中国・東南アジア系の人たちが集まり始めた。
2002年〜:韓流ブームで一変 冬のソナタに端を発する韓流ブームで、コリアンタウンとしての認知が一気に広まった。韓国料理店・K-POP関連のショップが爆発的に増えて、「新大久保=コリアンタウン」というイメージが定着。観光地化が進んだ。
2010年代〜現在:多国籍タウンへ 実は今の大久保は「コリアンタウン」ってだけじゃなくて、ネパール料理・ベトナム料理・タイ料理・ハラルフードの店もめちゃくちゃ増えてて、むしろ「多国籍タウン」に進化してる。イスラム横丁なんかもあるしね。 面白いのは、鉄砲隊の駐屯地→山の手住宅地→多国籍タウンっていう振れ幅のデカさ。しかもこの変化って、行政が計画的にやったんじゃなくて、「新宿に近い・家賃安い」っていう経済的な力学でほぼ自然発生的に起きてるところがポイント。都市って生き物だなって感じる事例だよね。