批評の教室
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このため、作品世界で提示されるものには全て必然性があり、偶然出てきているものなどはなく、何らかの意味合いがあってそこにあるのだ、と考えねばなりません。登場人物が息をするなら何か意味があるし、動くなら何か意味があるはずなのです。(No.174)
サブタイトルの「チョウのように読み、ハチのように書く」だけど、精読についてのつながりがわからん
精読は初心者でも「やる気を出せば」できると書いてるけど、できんよなあ...... 作品内でだけはストーキングしてよい、という例えがあまり適切じゃない いきなり作者の人生や社会問題とつなげて批評しない。まずは精読する。
わからない言葉は調べる
当然っぽいけどできてないこと結構多い
作品内の事実認定を正確にする
フィクション内の事実認定としてそもそも間違ってる
ニュアンス(肯定的か否定的か)。その事実を肯定的に描いているか否定的か。
「通常であればそこに出てこないはずのもの」→トイレ 一般的に映画で登場人物がトイレに行く時は、受け手は警戒を最大限にしたほうがよいものです。トイレのような日常生活の一コマは通常であれば出てこなくても話の展開に問題は怒らないはずだからです。主人公が「トイレに行く」と言ったからには、トイレに殺人鬼や宇宙人が潜んでいるとか、誰かが発作を起こすとか、重要な情報を立ち聞きしてしまうとか、そういう疑問があるはずです。(No.384)
ヒロインにやさしい言葉をかける男はその後ヒロインを口説く
こうした読みが可能になるのは、フィクションは現実の人生と違って展開に必要なことだけ描写するからです。現実ではちょっと親切にしてくれた程度の人と恋が芽生えることはそんなにないかもしれませんし、そういうことばかり考えていると勘違い野郎になりますが、物語の世界で何かが描かれれば、それは後の展開に関係があるということです(もし関係なかったらそれは話の作りのほうにたぶん何らかの問題があります)。(No.430)
自分の性的嗜好を自覚しておくこと
アンフェアな批評になりがち
自覚すれば逆に武器にもなりうる?
信頼できない語り手
語り手以外の登場人物が信頼できないときが結構見つけにくい
登場人物の嘘の手がかりのひとつ。「この場所に行く」といって行ったという描写がない。
NO.580
要は作者の意図とか気にせんでいいってこと。