思考するためにノートテイクする
小学生の時から今に至るまで ノートテイクということをしたことがなかったのですが さすがに 覚えきれないことが多くなっていて支障を感じているのでどうにかしたいなと思っています。これまで ノートテイクをしてこなかったのは 考えたことを文にまとめる 時間が二重になっていて 無駄に感じてしまうこと
記法を遵守することが面倒くさく感じてしまうこと
記録をするために一旦 思考から離れなければいけないこと
(これら ゆえに ノートテイクをサボり、しかしながら 今までうまくいってしまっていたこと)などが考えられるのですが llm の方をインターフェースにしてそれとの会話を PKMサービスにまとめてもらうことで それらの問題を回避しながら記録の構築ができるのではないかと思いました。おそらく 森さんがCosenceにまとめているの と 似ていると思うのですが、ツール選定と、2つの間にどのように ブリッジをかけたらいいのかということを思案していて、一緒に考えてもらえると 心強いです。当分はアカデミックなところにいるつもりなので 論理的な正当性と情報の網羅性を重視したいです。
自分もノートテイクってほとんどしてこなかったので、考え方にはめちゃくちゃ共感する。
ノートテイクの方法よりもその前提となる考えのほうが気になる。
・考えたことを文にまとめる 時間が二重になっていて 無駄に感じてしまうこと
自分は「一度考えたことももう一度考え直す手間を省くために文章にしてしまう」=思想/文章の再利用性を高めるためにCosenseを使ってる。→エバーグリーンノート参照。 似たような同じ話を何回も知らずに書くことはあるけど、それは結局「それだけ自分にとって大事なこと」だからかなそれはそれでいい。
・記法を遵守することが面倒くさく感じてしまうこと
記法が面倒というのはほんまそれ。
だがこれも「グダグダでも全然困らない」というのが昨今の流れ。
たとえばCosenseなら項目名変えると自動で出現箇所すべてを変更してくれたりするし、Obsidian使った管理でもCursorと連携させればタグ付けはAIがやってくれるので最初のルール決めだけAIと一緒にやって、あとは「勝手にタグつけて」で終了だそう。
今の世の中では「記法や整理はできるだけしない」がセオリーになってるみたいだし。このような悩みを持つ人にはピッタリな時代になっているのでは。
・記録をするために一旦 思考から離れなければいけないこと
自分は逆に考えていて「思考するために書く」みたいなところがある。
「きちんと書く」ことで論旨に穴が見つかったり、思考が不十分なブランク部分が見つかったり、思わぬ発想が出てきたりするから。
「書く」(文章としてきちんと書く)をぶっ飛ばすと、自分の場合は「自分ではちゃんと考えてるつもりだけど穴とトビだらけ」になりがちっていう。