天使にラブソングを
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現代はSister Act。「シスターのふり」みたいな感じか。もちろんここでの「シスター」はブラザー&シスターのシスター、シスターフッドみたいな意味でもあったりする。
久しぶりに見たけどめっちゃおもしろかった。
思ったよりも歌うシーンは少ないし曲目も少ない。ストーリー、というか大筋はそんなに難しくもないし短い。でも、細かいセリフやり取りなどが大変丁寧だし、読み込む余白もきちんとつくってある感じ。院長がなぜそんなに修道院の外を怖がるのかとか、メアリーロバートのちょっとした表情などから「思い」を読むこむことも可能。そこまではあえて説明しないスタンスもすごくいい。
冒頭でチェイスしたり、チェイスも「マフィアと警察とシスターたちと偽シスター」の4者チェイスとか(笑)、一筋縄ではいかない感じになってるし、デロリス(ウーピー・ゴールドバーグ)がマフィア二人のキンタマを同時に殴りつけるシーンとかあって「金的をダブルで入れるシーンって案外ないのでは???」と思った。
ウーピー・ゴールドバーグはデッドヘッズとしても有名なんだけど、作中、「おもしろい子の話があるのよ、その子バーサって言うんだけど」ってセリフがあったり(Berthaはグレイトフル・デッドの代表曲の一つ)、夜中デロリスがバーに行くと、そこにジェリー・ガルシアみたいなおっさんがつったってたり(笑)、「意識してんじゃないの?」って気になってしまう。
小さい頃見ていたときは院長が意地悪な気がしたけど、自分もジジイになってから見ると院長側なので、一つ一つのセリフに「わかるわかるぞ」ってなってしまった。彼女はデロリスのことを気にかけてないわけではないし、自分が自分のままでいようとしたら時代に合わないことも知ってる。それに修道院にまで入ってきて、そこが居場所だと思ってたのに、その居場所ですらこの歳で、デロリスのせいで自分が知らない場所になっていく辛さとか。
「どうせ大して売れてなかった歌手なんでしょ」とデロリスに言ったりするのも、これ、デロリスからしたら図星なわけでしょ。でも、図星をわざわざ言うことに単なる意地悪や相手を傷つけようって気持ちを見ていても感じないんだよね。院長にもそんな過去があったとか、前に似たようなシスターを見たことがあったとか、そういう経験から出てきた心からのアドバイスだという風に感じた。
実際、デロリスは堕落してたわけだよね。歌にだって真面目に取り組んでなかったでしょ。マフィアのボスの愛人やってたりするくらいだから。最初に「早く奥さんと別れて」みたいな話をしてる。これも「家に迎えて」「早くラクさせて」って思ってるようにも取れる。そんなデロリスに「我が身を振り返りなさい」と言いつつ、しかも聖歌隊を任せたり、本当に院長はデロリスのことをとても気にかけているし、院長のおかげでデロリスが導かれていく話になってる。
実はデロリスは流れに流されてるだけで、そんなに主体的に「選んでる」わけではないんだよね、この映画。なんとなく場末のバーで歌いながらマフィアの情婦をやってたら、殺人現場を目撃してしまい、警察に言われるがままに修道院に入るだけなので。「動き」は院長が決定してそれが「導き」になってる・
あと、この映画で本当におもしろいところはイタリアンマフィアなのかな。とにかく信仰深いってことでしょ。シスターとマフィアが対立しているように見えるけど、どちらも「神様信じてる」って意味では実は相当近い立場なんですよ。それなのに敵対してるっていうのが本当に素晴らしいストーリーだと思う。
マフィアからしたら「殺人」はオッケーだし「不倫」はオッケーなんだけど、「修道女殺し」はアウトだし「離婚」はアウト(笑)。でも「どこまでがオッケーでどこからがアウトか。それを決めるのは個人の価値観だし、人によって違う」っていうのは非常に文化多元主義的なわけですよ。
この映画、結局、一番おもしろいのはマフィアだなーって。マフィアもシスターもどっちも「神を信じてる」って意味では「同じ」なんだよね。だけど「同じの中にも違いがあるよ」って、すっごく大事な話じゃないですか。それこそインターセクショナリティなわけで。シスターと言っても、太っている人も痩せてる人も、同性愛者も異性愛者も、黒人も白人もいる、みんな違う。その「同じの中にも違いがあるよ」をすごく大事にしている映画だから、何回見ても刺さるんだと思う。