十二人の怒れる男
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『十二人の怒れる男』(じゅうににんのいかれるおとこ、12 Angry Men)は、1954年製作のアメリカのテレビドラマ。またそのリメイクである1957年製作のアメリカ映画。これらを原作にして制作された舞台作品。原作はレジナルド・ローズ。 アマプラで『十二人の怒れる男』見始めたけど、本当に面白すぎてヤバい。何回も同じこと書いてるし、これからも何回も繰り返すけど。見目麗しい若い男性も、そして女性も一人もいない。狭い部屋に122人の男たちがいるだけ。それだけでこんなに面白い。脚本の勝利としか云いようがない。 ろろ・そぜ / X この投稿をXで見て気になったので見てみたのだけど、もうむっちゃくちゃおもしろい。十二人の男だけの陪審なのだが、男の職業もブローカー、建築士、広告マンとみんなバラバラ。話が展開するうちにその出自もスラム出身だったり、ユダヤ移民だったりと「限られた中でも多様である」ことが描かれる。
下から上へ、そして上から下へ。特定の人にズームしたと思ったら、そのままその画面にうつってる別の人に描写がうつる冒頭も見事だし、切り替わりを意識させないカメラも素晴らしい。十二人の男が一つの部屋の中で話をするだけの映画なのだが、男たちは話しながら思い思いの行動を取り、席を立ったり座ったりする。その席の立ち方にただ一度として同じパターンがなく、それゆえにまったく飽きずに、毎シーン新鮮に見ることができる。
さて陪審の結果被告は有罪になるのか、無罪になるのか?という映画でもあるのだが、事件の詳細が語られると同時にそれが反駁されていく、つまり「やっぱり有罪なのでは」と「やっぱり無罪なのでは」の証拠提示が同時進行していくプロットも見事だが、少しずつ「無罪」派が増えていき、つまり最後まで誰が「有罪」派として残るのかという「犯人」を当てる別種のミステリーにもなっているため、一時として緊張がゆるまない。
最終的に「無罪」との判決が出るのだが、有色人種のスラム出身の被告の少年が本当に殺してないのかどうかは、最後まで明らかにならない。我々は真実に辿り着くことはできないが、だからこそ話す=talkすることができる。それこそが民主主義の素晴らしいところなのだ。
陪審が終わりみなが部屋を出ていく。9番の老人が8番の主人公に名前を尋ねる。「デイビス」と、ここではじめて登場人物の名前が明かされるまで、誰一人として登場人物の名前がわからないのもすごい。「マッカードル」と自分も名乗って老人はデイビスと握手する。二人は中心となって陪審を覆した中心人物だから、ここでこの二人が探偵コンビを結成したかのような印象も与える、この構成にも舌をまく。