北野武
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なんか、「人を楽しませるために、バカにされ、おもちゃにされる芸人たちの悲しさや切なさ」を描いたり、売れっ子で傲慢なビートたけしが調子に乗って、売れない高齢貧困独身男性の北野武を嘲笑したら刺し殺される、とかを描いた映画監督の北野武の視線は一枚上手な気がする 戦後民主主義的なものに対する懐疑や反発の気分を、(ガス抜きとしての冗談であるという意味で)「安全」にギャグに落とし込んだのがツービートだったとして、ビートたけしに影響を受けた太田光は、お笑いが帯びるジョーカー性に惹かれそれを体現しようとしつつ、しかし同時に「戦後民主主義の子」という立場を一応保持し続けている。
たけしは「アウトサイダーとしての芸人」をいまだに標榜するようだけど、かつてツービートがそうであったように、戦後的なものに依存した上でそれを揶揄しからかう構図そのものの「アウトサイド」に彼が行ったことは、これまでもずっと無かった。芸人としてのビートたけしがやってきたのは戦後日本に対する「アウトサイダー風味の」幇間芸だったと思うし、それはその時代の芸人という在り方において正解だったと思う(「ビートたけし」は言うまでもなく、カウンターなアーティストではない。「北野武」の問題としてはまたちょっと話がややこしくなるけども)。
しかし戦後的なものはいよいよ本当に機能しなくなりつつあるわけで、例えば太田のような「戦後民主主義の子」性も、その在り方の意味自体が通じなくなってきていると思う。