勧進
ところが、そうなる前の中世という時代は、「勧進」が社会的にも政治的にも、もちろん文化的にも大きな意味を日本においてもっていた時期なのです。「勧進」という要素を抜いては、なかなかその時代を考えられないだろうというくらいの大きな意味をもっていると私は思います。中世の勧進というのは、一種の民間活力の利用という面があります。勧進聖の集団というのは、一種の企業体、商社に近い企業体であり、お寺をつくったり、大仏を再建したりする事業を全面的に請け負って遂行していくような集団であります。中世芸能講義 「勧進」「天皇」「連歌」「禅」松岡心平 (p.9). Kindle 版. 集められたお金をふくらませて、大資本家に発展していくという運動はやりません。それでも、大量のお金が民間に集まってきて、そこで大きな事業が遂行されるという、そういうことを民間の人間が繰り返すのが、中世の勧進の特徴です。勧進聖は貿易にも手を出しています。貿易をやると非常にもうかるので、もうかったお金でたとえば、東福寺のあるお堂の造営をやるとか、伊勢の内宮の橋──橋というのは、だいたい勧進によって架けられることが多いのですが──内宮の大橋というのを「稲荷十穀(十穀聖=勧進聖)入唐シテ勧進シ、帰朝シテカクル」(藤田定興氏「十穀聖とその南奥における事例」〔『福島県歴史資料館研究紀要』七号〕による)、のように、中国に渡って貿易によって得た利潤で架けるということがあるわけです。中世芸能講義 「勧進」「天皇」「連歌」「禅」松岡心平 (pp.9-10). Kindle 版. これだけ聞くとおもしろいし、素晴らしい活動のような気がするが、現在では国立の科学博物館ですら勧進でお金集めてどうにかしようってレベルなので、そうなると見え方変わってくる。
お金が集まったら「じゃあ国の支援が要らないね」
お金が集まらなかったら「じゃあ必要ないのだろうから国の支援が要らないね」
どっちにせよ「国の支援が要らないね」っていうハメ技。
ひょっとして昔っから国は割と「何もしてくれない」のがデフォだった?とか。
自助だの共助だのに日本の「伝統」が使われるのたまらないな。