デリダ論
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最初に「序文とは」みたいな話から導入するという結構ややこしい話。
もう脱構築批評とかブームとっくに去ってるらしいけど。スピヴァクのデリダ解説は実は結構わかりやすい。 わかりやすい理由は2つある。
一つはスピヴァクがデリダの革新性、および核心性を「打ち消しの元に」という概念を中心にクリアに論じているから。ここがデリダの最もコアのポイントなのだということ。「コア」だの「中心」だのなんてデリダ哲学に対して言ったらすぐさま大問題に発展するだろうが、そんなこと、わしゃしらん。 もう一つはフーコーやラカンとの同時代の思想家との立ち位置をささっと手際よく描写してくれてること。 問題は、ぼくはデリダの例の❌印とか、つまり「打ち消しの元で」という概念をまったく理解してないってことだな。フランス思想というか、ハイデガーからアホだと思ってる。「世界ってふしぎ」くらいのことしか言ってないのがハイデガー。
スピヴァクのデリダ用語解説は明快な言い切りが多く、誤魔化すところもなく、大変好感が持てる。
自分は、フーコーは大事。デリダはまあ大事。ラカンは耳かす必要なく、ドゥルーズは「かっこいいね!」と褒めて距離とって、二度と関わる必要ない、みたいな気持ち。
哲学と相性が悪いのかもしれない……