ゴーストバスターズ
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性差別がひどくて現在では見てられないという前評を聞いてから見た。確かにひどい。主人公のピート(ビル・マーレイ)は、相談をしてきた図書館司書に「生理中?」と聞くし、心理学の実験では女性の協力者に「君はエスパーだ」と言ってナンパする。これまた怪奇現象を相談してきたディナ(シガニー・ウィーバー)の自宅を捜査しなくちゃね(check her apartment)というつもりが「彼女をチェックしなくちゃね」(check her out)と言ってしまい、しかもそのままディナの家で口説きに入るっていう。まあこれだけ見たらどう考えてもアカハラセクハラのオンパレードなので、その点での批判を否定する気はないのだが、でも「この時代」で「この映画」だけに特別に「言う」ことか?とは疑問に思った。 そもそもピートは実はそんなに「女好き」してないんですよね。「女が好き」「所構わず口説くしセクハラする」ような描写があるけれど、常に目が笑ってない冷笑的?な演技もあって「こいつ、正直、女とかどーーでもいいんだろうな」という感じがする。ピートはディナを口説くけど、その後はまったく絡みに行ってないし、ゴーストにとりつかれたディナがベッドに誘ってきても全然乗ってこない。最後、結局ディナがピートに惚れてくっつく展開なので、まるでハリウッド映画のお約束でくっついてるだけみたい。それくらい「女」がこの映画では「どーーでもいい」し、その「どーーでもいい」の、それこそホモソーシャル感のほうがより根本的な問題なのではないかという。 この映画、出てくる女性がまず圧倒的に少ない。図書館司書、ディナ、ゴーストバスターズ社の受付「嬢」、大学の実験協力者。これだけ。あとはディナの隣人のルイスが開催してるパーティーに参加している女性くらいか。とにかく徹底的に女性を排除しているのがすごい。そのディナもなあ。隣人のルイスがチビで見るからに非モテってだけで結構ひっどい感じで袖にしてるし、世界的に有名な音楽家と歩いているし、ゴーストバスターズが有名になったらピートに声かけてるし、「女ってそうなんだよ、グギギ......」という描写になっているというか。そもそも女性差別もひどいけど、身長低い人に対する蔑視がひどくない?
そして、この映画のこの女なんて実は「どーーーでもいい」っていう非モテの美学みたいなんが、日本の少年漫画とかにもどんどん輸入されていって、いまだに是正されきってない感じがある。シティハンターとか......。クライアントは全員美女で軒並み「もっこり」で夜這いに行くんだけど、成功確率はゼロで、しかもいうてもここぞという時にプロ意識発揮してシリアス顔する。要するに「シリアスであることへの照れとしての女好き」=「女なんてどーでもいい」なわけ。まさに「ホモセクシャルじゃないんだぜ」のエクスキューズにだけ女を使うっていう。 あとはこの映画、とにかくアメリカだよね......。ゴーストを見て、学者が最初に思いつくことが「ゴースト討伐事業」の会社をつくるって......。メタフィジカルなものに対する興味、まったくなし! どこまでもプラグマティックにっていうアメリカのイズム感じる。ゴーストを放射能とか物理的な発明品のビームでやっつけてるし。霊を霊能力で倒す、じゃないんだよね。同時期のグレムリンもそうだったけど、東洋(オリエント)=神秘と西洋=科学の融合を、グレムリンと別の形でやってる。 あとは聖書の予言通り、ハルマゲドンになる!って言いながら、敵は異教徒(異教の信仰)っていうね。ニューヨークがそれで大パニックになるんだけど、最後、マシュマロお化けを倒したあと、途中からポリコレにとってつけたようにゴーストバスターズに就職したアフリカンアメリカン=ウィンストンが「I Love This Town!」って叫んで映画は完。これを言わせるためだけのアフリカンアメリカンっていうね......。どっちらけでした。
映画としてもおもしろいんかなあ、これ。笑えるところがあるわけでもなし、スリリングなところも弱い。話の筋もクッソ弱いし、実はいいとこなしですよ。それでも何か抗えない魅力があるのは、根本にある「アメリカ」とか、非モテのオタクがマッチョに活躍する不定形のイズムがあるからで、それに説得力もたせてるのがビル・マーレイの「目が笑ってない」クールな演技だと思う。
moriteppei.iconその後の作品を見ていくと、ここでの「お題の提示」をいかに展開するかというストーリーものだった。最初はビル・マーレイではなく、ジョン・べルーシが演じる予定だったとか。