ガスライティング
ガスライティング(Gaslighting) は、相手を心理的に操作して、自分の記憶や判断を疑わせる行為のこと。特に、人間関係や職場、政治の場面で使われることが多い。
具体的な特徴
相手の記憶を否定する
「そんなこと言った覚えないよ」「そんなことはなかった」と言って、相手の記憶を歪める。
相手を過剰に疑わせる
「お前ってすぐ勘違いするよな」とか、「考えすぎだよ」と繰り返して、相手を不安にさせる。
現実の歪曲
「みんなお前のことおかしいって言ってるよ」といった根拠のない話を持ち出し、相手の認識を揺るがせる。
被害者を孤立させる
「お前は俺以外に誰も信用できない」といった言葉で、周囲から引き離す。
語源
もともとは、1938年の舞台劇『ガス燈(Gas Light)』に由来。主人公の夫が、家のガス灯を暗くしながら「暗くなっていない」と主張し、妻を混乱させる話から来ている。
ガスライティングを受けたときの対策
記録を取る(会話のメモや録音)
信頼できる人に相談する
相手の言葉をそのまま受け取らない
心理的距離を取る
シンプルに言うと、「相手をじわじわ洗脳して、自信を奪う行為」やな。
言葉の定義はわかるし、こう言いたくなるシチュエーションがあるのはわかるのだが、単に記憶違いを指摘したり、事実について係争するだけで「ガスライティングだ!」というのは意味がわからん。
実際に「そんなこと言ってない」時に「そんなこと言ってないよ!」と言ったら、あるいは、相手が事実勘違いをバンバンしてるときに「勘違いしてるのでは」と言ったらそれだけで「ガスライティング!」だったら、そら無敵の概念になる。
それどころか、実際には勘違いなのに勘違いを認めず、勘違いと言ってくる人に対して「ガスライティングだ!」と言うこと自体が、この定義によればガスライティングになりうる。
また、そもそも「ガスライティングかどうか」が係争点ではないことが多いのも気になる。たとえば「著述協力したのにお金が支払われていなかったかどうか」とか「取材協力についてクレジットを入れてくれなかったか」とか、事実について係争すればよいのであって、それがガスライティングかどうかとは別にこうした論点について扱える。
ガスライティングと言うべきときはもちろんあるだろうが、必要ないときにガスライティングといっても、話をややこしくし、また本当に責めるべきポイントも曖昧になる気がする。