アメリカン・フィクション
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黒人だからといって黒人っぽい作品書かないと売れないアメリカ。腹たったあまり売れてない作家の主人公は、いかにも黒人が書きそうなステロタイプな作品を冗談で出版社に送りつける。すると「ぜひ出版させてくれ」と言われ.....さすがにこう言えば拒否されるだろうと「タイトルはFUCKにしてくれ」と言うと、そのまま出版され、一大ベストセラーになり、文学賞まで受賞して.....。
テーマはおもしろいんだけど、言ってみれば上に書いたような話しかないので、掘り下げがイマイチに感じてしまう。
小説はバカ売れし話題になる中で、主人公の家族は妹が急病で死に、ゲイの弟は離婚、母は痴呆症で施設へ、家政婦さんは結婚して......とリアルな「ある」黒人の生活が描かれる。
最後はオープンエンディング。実はこの一連の話自体が、映画の脚本を監督に説明している回想シーンであったかのような演出がなされる。
授賞式で主人公は何を話すのか.....答えを出さずに終わると、監督からそんなのはダメだとダメだしされる。主人公は「モラルを語らせたくない」と言うのだが監督は「小説と映画は違う」。じゃあ、こんなエンディングはどう?と提示したのは、授賞式のあと、ケンカ別れした彼女のコララインに「すまなかった」と謝りにいくパターン。しかしこれに対して監督からは「リアルをくれ」とダメだし。そこで、授賞式にて脱獄者だという嘘を信じ込んだ警察に発砲され撃たれて死亡というエンディングを提示すると、監督から「それだ」「完璧だ」「サイコーだ」「完璧なラストだ」。
そして車に乗り込む主人公。弟から「どうだった?」と聞かれ、映画化されることになったと......。「じゃあ俺の役はかっこいい俳優にやってもらおう」ということでこの映画自体のエンディングとなる。
あなたがみている映画=フィクション自体、望まれるエンディングがあり、エンディングに観客はある種のテンプレを期待している。そのどれにも落ち着かせませんよーという趣向で、映画自体もそんな感じ。映画みにくる=泣きたい、笑いたい。そういう興奮を期待してるんだろうけど、結構地味ですよーという、その地味がいい映画。