ふしぎの国のバード
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明治時代に日本を旅して旅行記を残したイザベラ・バードの道中記をマンガに。これはおもしろかったなーーー!! 一気に8巻まで読んでしまった。 このマンガのテーマはまなざし。見る/見られることそのものだと思ってて。作品の中で主人公バードは失われていく日本人の生活を見て、それを記録していく。日本人は「異人さん」が珍しくてバードを見にくる。そんなバードとともに旅する通訳の伊藤鶴吉は「自分のことを見てくる日本人を見ているバード」を「見て」いる。そして我々読者はそんな伊藤とバードとの関係を含め、すべてをまなざす、と。 「見る」ことは実は常に暴力的だ。イギリスの、それなりの通訳をつけて、働かずに一定期間旅行できるだけの資金を持った西洋の女性が、日々の生活すらままならぬ日本の庶民の暮らしやその工夫を、「理解したい」という気持ちがあったとしても、まなざし、記録し、評価する残虐さ。作中、もろ肌を見せる女性や、出っ歯の男性が描かれるが、これ、そのままだとアジア人差別にもなりかねないわけで。
そのままバードが日本を「異文化から見たら昔の日本っておもしろいよね」ってだけを描いたら凡作駄作になってしまうところ、このマンガでは、バードの通訳伊藤が、バード以上の知識を持っていること、西洋と日本その双方に相当なレベルで知識通暁していることで、バードの「身勝手な視点」を相対化しているのがとてもよい。
加えて、その伊藤も「完璧な視点」「絶対的な視点」ではない。一番わかりやすいのが牛肉に対する価値観。おいしそうに牛肉を食べるバード。「そんなもん食べたくない」とつっぱねる伊藤。しかし、食べてそのおいしさに感動する伊藤。「牛肉なんか食べるのは野蛮」という考え方が見事に相対化される。
......のだが、現代に生きる我々は、伊藤のこの「発見」こそが「野蛮」だという視点も知っている。早晩培養肉などのテクノロジーが発展すれば、生きた牛を屠殺して食べる食文化は野蛮でしかないという意見が主流をしめていくはずだ。
あとはこのマンガ、バードと伊藤の関係がとてもよくて、切なくなるんだよな。別れ話を切り出す男、それを抑えてしまう女。共通のゴールが2人をつないでいるのだが、そのゴールを達成するということは二人の関係が変わってしまう、終わってしまうということ。「2人の終わりに向かって急ぐ」2人、という関係になっている。そして、この関係は旅が過酷になればなるほど強まっていき、接点も増え......。延長すればするほど近づいていく2つの線は、交わった=ゴールに到達した瞬間、今度は二度と交わらない。
そして通訳も完璧、料理もし(超うまい)、手回しもよく、知識も豊富。過度な干渉はせず、ピンチのときは助けてくれ、ただただ、女の身を案じるからこその壁ドンまでする、マッサージが得意なお菓子好き。伊藤のキャラがとにかく最高。
1巻で「ちょっとなあ」と思った人もぜひ読み進めてほしい。
ふしぎの国のバード 明治時代に日本を旅して旅行記を残したイザベラバードの道中記をマンガに。これはおもしろかったなーーー!! 一気に8巻まで読んでしまった。 このマンガのテーマは「まなざし」。見る/見られることそのものだと思ってて。作品の中で主人公バードは失われていく日本人の生活を見て、それを記録していく。日本人は「異人さん」が珍しくてバードを見にくる。そんなバードとともに旅する通訳の伊藤鶴吉は「自分のことを見てくる日本人を見ているバード」を「見て」いる。そして我々読者はそんな伊藤とバードとの関係を含め、すべてをまなざす、と。 「見る」ことは実は常に暴力的だ。イギリスの、それなりの通訳をつけて、働かずに一定期間旅行できるだけの資金を持った西洋の女性が、日々の生活すらままならぬ日本の庶民の暮らしやその工夫を、「理解したい」という気持ちがあったとしても、まなざし、記録し、評価する残虐さ。作中、もろ肌を見せる女性や、出っ歯の男性が描かれるが、これ、そのままだとアジア人差別にもなりかねないわけで。 そのままバードが日本を「異文化から見たら昔の日本っておもしろいよね」ってだけを描いたら凡作駄作になってしまうところ、このマンガでは、バードの通訳伊藤が、バード以上の知識を持っていること、西洋と日本その双方に相当なレベルで知識通暁していることで、バードの「身勝手な視点」を相対化しているのがとてもよい。 (編集済)