「原っぱ」という社会がほしい
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思うところあって橋本治年間、というか延々読んでいこうと思う。一体自分はなんでこんな苦行のようなことばかりしているんだ。ミスチルしかり、綿矢りさ然り。でも、橋本治は大好きなので、楽しい。
この本は遺作で、まえがきを内田樹が書いていて、その時点で萎えたのだけど、本当に遺稿や所収漏れ、受賞時スピーチを集めただけの新書で、遺稿も結構ひどいもので、延々と昭和から現代までの時代の流れを要約しているだけだったり、でも、それは橋本が悪いんじゃなくて、たぶん悪いのは、時代。もうそういう前提をいちいちいちいち説明しないと、いや説明しても言いたいことが通じないから、必要条件として説明するしかないので説明したのだろう。ただ、それでも橋本のIT論とか、ファンの自分が読んでも鼻白むのに、しかも途中でバッサリ。未完のまま、うちすてられた、原稿。
表題の「原っぱ」は感動なしに読むことはできない、自分もまさに、原っぱがつくりたいんだよ、それでいろいろやってんだよ、ネットでも、徳島でも!って気持ちを新たにする素晴らしい内容なんだけど、一体、ここに書かれていること、2022年に、腑に落ちてる人がどれくらいいるのか。ほとんどの人はもうこの人、何言ってんだ?でしかないんじゃないかって話なんだけれども、遺稿・未収を集めた一冊、レッドツェッペリンで言ったらIn Through The Outodoorである一冊なのに、これだけ『ぼくたちの近代史』の再録で、でも、この部分が本書の根幹なんだから、この本をわざわざ読む意義は、ない。
昔mixiで、今もTwitterのプロフィールなんかで、自分が影響を受けた人物、アーティスト、作家などを羅列する人は少なくないけれど、当時からそういうのってなんかダサいと思ってて、というのも、結局はバカでもこれを真似できる、名詞の羅列は記号でしかなく、記号という「点」だけで、他人と自分が交われる、同じだとサインを送り合って、それで友人関係、なんなら恋愛相手を探そうとする感じが意地汚く思えたからなんだけど、でも、今、あえて、この流れで、自分の「ネタバレ」をしてしまうと、自分の元になったのは、橋本治、大塚英志、近田春夫、ナンシー関、町田康、太宰治、野坂昭如、トクヴィル、イリイチ、アーレント。
橋本治との出会いは、高校生のとき。当時好きだった子と、自分は本の貸し借り、と言っても、自分は本なんかほとんど持ってなかったのでほとんど一方的に借りるだけだったのだけど、貸し借りをしていて、毎朝、その子から、その日、読む本を渡される。たいていは漫画だったのだけど、その日のうちに読んで返すということをしていて、その時になぜか大量の、花ゆめ作品や、今だったら絶対読んでないが、スクエニ作品なんかをじゃぶじゃぶと浴びていて、その中になぜか橋本治の『桃尻娘』シリーズが入っていて「森くんはこれを読んでどう思うのか。感想を聞かせてほしい」と言われたので、高野文子が描く表紙の、当時は「なんかひと昔前の感じが苦手だなあ」と思いながら手にとり、よくわからずに読み、「てか、こんなのが現代の文学なの?」「ってーか、あの子はこんなものを自分に貸して一体何を伝えたいの?」「そもそも伝えたいことなんてあるんだろうか」とまったくわけもわからないまま、でも、高校生で時間だけはたっぷりあったので「読んだよ」と言って翌日、本を返すと、「続き」と一言だけ、手提げに入っていたのは、『その後の仁義なき桃尻娘』『帰ってきた桃尻娘』『無花果少年と瓜売小僧』『無花果少年と桃尻娘』『雨の温州蜜柑姫』で、おもしろいのかつまらないのかもよくわからず、というか、完全に胸焼けを起こしつつもすべて読破したのがきっかけだった。
その後、大学生になってから、『宗教なんか怖くない!』を読み、あんなくだらないのに長ったらしくて、突然数ページにわたって「わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー=!!!」とだけ書いてあるような小説の作者は、片手間で評論もしているのかと思った。
まあ、なので、橋本治デビューは「遅い」ほうだと思うのだけど、でも、真面目なだけのフェミニストなりリベラリストは橋本治くらい読んだらいいと思う。橋本信者やファンは、橋本なんかにかぶれてないで「って、このおっさん、全然ジェンダー時代遅れじゃん」「ITなーんもわかってないじゃん」「お前なんか、とっくに時代遅れだよバーカ!」って、万葉、古今、新古今。平家に源氏に宇治拾遺。清少納言に鴨長明、全部読んだ上で言ってほしい。
橋本治は評論系は絶対読むべき。新書は......まあ、好きな人は読めば?って感じです。