〈悪の凡庸さ〉を問い直す
衝撃。ホロコーストを推進した重要役人アイヒマンは上の指示に思考停止で従う組織の歯車的存在だった――この理解に基づいて官僚的な人物を「アイヒマン」と非難する事がある種の様式美となっているが、それを「誤りだ」指摘するのが本書。アイヒマンは凡庸な役人だった? それも誤りである。彼は実は→
独自の判断も行っていたし時には上司の命令にうまく抵抗する優秀な組織人だった。その事はその後の研究が示していた! だからアーレントの「悪の凡庸さ」概念も多くは誤用されている。誰もがアイヒマンになり得る、アイヒマンはあなたである――そうも言われるが、アイヒマンは平凡な存在ではない。→
たとえばアイヒマンは以前は「自らがしている事の重大性を分かっていなかった」とされてきた。が、現在の歴史研究ではアイヒマンが自らの輸送作業(ユダヤ人を強制収容所に送る作業)がもたらす帰結を理解した上できわめて効果的な輸送業務を遂行したことが明らかになっている。アイヒマンには自主性→
もあった(この「自主性」の意味については色々な議論がある)。彼は何も考えずに輸送業務に邁進した訳ではない。アイヒマン=凡庸な役人説はナチズム・ホロコースト研究でもとうに否定されてきた。彼は、また少なくない役人たちは、自部の意思でユダヤ人迫害に加担した。いわば「自分の頭で考えて」→
ホロコーストを推進した。実はアーレントもその事に言及している。「私たちすべてのなかにアイヒマンがいる、などということを私が言いたかったわけでは全くないのです」。アーレントも誤読されてきたのだ。では、アーレントのいう「悪の凡庸さ」概念はこんにちでは無効になってしまったのだろうか?→