note文体
noteを書いてる人って、「書きたいこと」があるというよりは「書くってことがしたい」「書く人になりたい」って人が多い気がしてる。あくまで「書く」という行為が目的で、そのために「書きたいこと」「書くべきこと」が必要、みたいな感じ。 なのでnote独特の文体というか、「書き手になりたい人独特の文体」があると思ってる。簡単に言うと以下のような文章。 本題に入るのが遅い
本題の内容が薄い
筆のすべりで文章を長くしている。
ロジックという情報量が実は少なく、それを一個の文章と言えるボリュームになるまで漫然と引き伸ばした感じの文章
https://gyazo.com/52b725065f5d74128f51c74c400ff8b6
2000文字くらいの文章なのだが、実際の内容はほぼほぼ「書くことが、彫刻に近くなっていく。アウトライナーで行うフリーライティングを、そのままUlyssesに持ち込んで、本番原稿を雑談のように一発書きする」という個所に尽きている。(実際、この箇所が引用されてSNSでは拡散されていた)
この個所がおもしろいので「詳しく」と思うのだが、この個所は登場するだけで終っているように見える。あまり「なぜ」や「具体的に」の深堀がなされていない。
やってることは単に「フリーライティング≒下書きからUlyssesで書く」ってだけなのだが、それをこのような修飾形容で「かっこよさそう」に見せている。
「だからキーボードの付いたマックブックで行うことと言えば」の段落が余計。「キーボードがあるというアフォーダンス」云々、難しい言葉使っているが「キーボードがあるので」程度の意味でしかない。
念のため書き添えておくと、この方は、noteに書く文章ならこのくらいの「粗さ」でいいと思って書いているのだろうってことで、だからあえてリライトやロジックの整理はしておらず、「Ulyssesという本番環境でのフリーライティング」をこの文章自体で実験してるんだと思う。だからこれはこれで「いい」。