SNS政治の終焉
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Twitterのアプリは消した。Twitterを開こうとする時の私にさよならした。実は私は「それでも何かこの世界はより良くなろうと変わっていくんじゃないか」って想いをTwitterに対して期待してしまっていて、そんな自分とさよならした。
何かを願って祈るように、だいぶ私自身を消耗させていた気がする。呼吸のできないところにわざわざ張り付いてきたとも思う。そこで自分を表現してきたし、自分を獲得し直したりしてきたことは事実だけど、いつしかTwitterに磔られてきたとも思う。インターネットにははユーザという主体の能動性を受動性に乗っ取っていくような相互作用があると思う。自由というものが言葉になった途端に不自由になるように。
Twitterは近ごろ開けても、投稿内容が脳の表面をスルスル滑ってしまっていた。その現象(体感?)はおそらく、Twitterが今の私にとっては過去になりつつあるのではないかと思う。自分の言語表現をTwitter仕様の140文字程度に収める偏集力(これはTwitter上では能力にもなるんだけど) が身についてしまったので、それももうブリーチしようとも思う。
moriteppei.icon この文章、めちゃくちゃわかる。腑に落ちる。目が滑るようになった、というのもそう。一時期確かにTwitterでも社会が変えられるような気持ちになれた時期が確かにあった。それは幻影とばかりも言えなかったと思うんだけれど、今ではまさにここで言う「ユーザーという主体の能動性を受動性に乗っ取っていくような相互作用」の「のっとり」の部分が大きくなってしまっていると感じる。