SAY YES
https://youtu.be/Q9qAyt0G-jM?si=wN8D9GE-pWhX5KfI
300万枚近くを売り上げた超超超メガヒット曲だから当時何度もその歌詞を耳にしたし、今も何度も聞き返しているが、そんな大大大ヒット曲にしては、何度聞いても実際何を言いたいのか、言ってるのか。わかるようでわからないとんでもない歌詞だ。
「わからない」というのは歌い手とその相手との距離感、関係のことである。
余計な物など無いよね
すべてが君と僕との愛の構えさ
少しくらいの嘘やワガママも
まるで僕をためすような 恋人のフレイズになる
このままふたりで夢をそろえて
何げなく暮らさないか
一番のこの歌詞を見ると、歌い手とその相手の関係は一見、何一つ過不足のない、満月のように満ち足りた恋人同士のように思える。「余計な物」などないのだし、「少しくらいの嘘やワガママ」ですら「恋人のフレイズ」にまでなってしまうと言うのだから。けれども、だとしたら変だなと思うのは、
迷わずに SAY YES 迷わずに
というサビのフレーズのせいだ。そんな欠けるところのないパーフェクトな恋人同士なら、好きだとか愛してるとかとっくに何度も言っているだろうし、仮にこれまで言ってなかったとしても、即答のはずだろう。「迷わずに」SAY YES、言ってと言っているということは、つまり相手は「迷ってる」、迷う状態に現在あるということに他ならない。
何度も言うよ 君は確かに
僕を愛してる
こんなことを確認しなければいけないくらい、歌い手は相手の言葉に飢えている。「その言葉」をもらっていないのだ。相手から返事があれば、「何度も言う」必要はないわけで。相手から色よい返事を今のところもらえていないのである。そう、まだ「その言葉」をもらっていない。そこ、その地点からこの歌は始まっている。(凡百のラブソングが「僕は(君を)愛してる」であるのにこの曲では「(君は)僕を愛してる」なのがシンプルながら本当にすごい)
そう気づいて一番を見返してみると、「余計な物などないよね」の「よね」が「余計な物など」ではまったくなく、相手への必要な念押し、まだ取り付けられていない同意を今まさに取り付けようとしている最中のように思えてくる。
「少しくらいの嘘やワガママ」と言うのも、どこまでが「少しくらい」なのか、それも歌い手の胸三寸だろう。思い込みでしかないし、そう思い込もうとしているだけのようにも聞こえる。「ワガママ」はいいとしても「嘘」て。試しにあなたが相手で、この歌い手と付き合いたくなくて、嘘やワガママを言って、振ろうとしている、そういうシチュエーションだと想定してみてほしい。それでも恐ろしいことにこの歌の歌詞と何一つ齟齬は発生しないのだ。
そしてキメの必殺フレーズ「このままふたりで夢をそろえて」だ。「そろえて」と言うことは、今はまだ「そろっていない」ということだ。ここにも実は詐術がある。だって「このまま」なら「そろえる」必要がないし、「そろえる」なら「このまま」じゃないだろう。メロディのあまりの流麗さに見事に騙されてしまいそうになるが、この男の歌っていることは明らかに矛盾している。
矛盾は他にもある。その矛盾は他ならぬこの歌自体の存立根拠にまで波及する。
何度も言うよ 残さず言うよ
君があふれてる
言葉は心を越えない
とても伝えたがるけど 心に勝てない
「とても伝えたがる」の主語は「言葉」だろうか。「言葉」は「心に勝てない」。つまりどうしても言葉では心を掬いきることができない、残余が発生すると歌っている。が、これとその直前の「残さず言うよ」は矛盾している。
そもそもこの曲のタイトル、そしてそれこそ「何度も言うよ」と何度も繰り返されるサビは「SAY YES」だ。「言葉は心を越えない」と言うが、この歌で歌い手が最も欲しているのが「イエス」という言葉だったりする。「余計な物などないよね」。そう言われると、満ち足りた、欠けるところのない完璧な関係のように錯覚する。が、「余計な物などない」からといって「欠けている物などない」とは限らない。そう、ここには言葉が不在であり、欠けている。言葉さえあれば。すべてが上手くいくのに。そういう状況なのである。この歌い手の男にとっては。
君に逢いたくて 逢えなくて 寂しい夜
星の屋根に守られて 恋人の切なさ知った
このままふたりで朝を迎えて
いつまでも暮らさないか
この箇所も非常に切ない、素晴らしい歌詞だ。が、引っかかりを覚えるまで何度もよく聞いてほしい。状況があいまいではないだろうか。「このままふたりで朝を迎えて」と歌われると、いわゆる朝チュン、ベッドインしており、だから「このまま」を「いつまでも」、同じように繰り返して「暮らさないか」と、そう歌っているように思える。ところがその直前を見ると、「君に逢いたくて逢えなくて」、つまり二人は別の場所にいることがわかる。となると「このままふたりで朝を迎えて」は二人離れて別々に「朝を迎えて」いるってだけ、つまり100%男の片思い、勘違い、まだまだ全然そこまでいってない状態だとしても、実は何の矛盾もないのである。 「言葉は心を越えない」が「その言葉」こそがこの歌では延々と切望され続ける。思いは心は言葉を越えているが、その心以上に今、この歌い手がほしいのは言葉だったりする。心は言葉を越えるが、言葉は心を越えている。これをつまり不等式で書くと、言葉<心<言葉<心......と無限に続く矛盾のクレッシェンドだ。歌い手が相手の心を確信すればするほど(「何度も言うよ 僕を愛してる」)、言葉が切望され、相手が「イエス」と言ったとき、そのときはじめて「イエス」という言葉を越えた心が手に入るのである。