Plurality思想の支持者がPluralではない
複数性 Pluralityと言いつつイベントなどでの登壇者のジェンダー割合とかヤバそう。
tkgshn.iconまさにそうで、めちゃ少ないです。そしてめちゃ悩みました。日本だとめちゃ女性少ないです。自覚的になりつつも、どう向き合えばいいのかはまだ分かってません。「女性だから」と呼ぶのもかなり差別な気もしてます。アイディアあれば知りたいです https://x.com/0xtkgshn/status/1922864093486108849
https://gyazo.com/0af8ebf98499564ca2fda9f9ce8dc457
tkgshn.iconさんがこのようなコメントをくれた。ここらへんは主催者側としては本当にめちゃくちゃ悩まれてることだろうと思う。
あえて外野だからこそ無責任、無共感に言い切ってしまうと「ジェンダー比率は結果であって原因ではない」というか「結局、Plurality自体がそういう思想なんよ」と。まずは認めるところからしか話が始まらないと思ってる。
西尾泰和.iconAudrey : 私たちは「Plurality」という言葉を作り出しました。「包括的多様性(inclusive diversity)」や「デジタル民主主義」と呼ぶ代わりに。なぜなら、これらの用語には既に特定の分野での色が付いているからです。例えば、Pluralityのことを「デジタル民主主義」と言ったら、Pluralityが職場で適用できるにもかかわらず、人々は電子投票機を思い浮かべます。「包括的多様性」と言うと、人々はすぐに性別や人種などのことを考えます。それももちろん違いの重要な部分ですが、この高度な調整技術の主な焦点ではありません。/ だからこそ、他の言葉と同様に、我々が表現したいことを表現するにはたくさんの形容詞が必要です。しかし、形容詞が多すぎると、言葉が長くなりすぎて誰も聞いてくれなくなります。グレンが試みた「多中心的集団主義(polycentric collectivism)」などもありますが、これは音節が多すぎてさらにコミュニケーションが難しくなります。/ Glen: 「Plurality」という言葉よりも、この重なり合った混合の方が優れています。https://x.com/nishio/status/1922838183534084357
オードリー・タンは言葉を慎重に選び、「性別や人種」を「もちろん違いの重要な部分」と言うものの、「主な焦点ではない」と言い切ってしまうところに、非常にあやういものを感じる。
私は「Pluralityは仮面を被ったアンチアイデンティティポリティクス」だとすら思ってる。
ヘンテコな概念なのだ。「誰も取り残さない」とか「複数性だ」と言うけれど、この言葉が実際にどのように機能しているかこそ見るべき。
この言葉は実際には多様な政治的立場や認識をむしろ(少なくとも一時的に)捨て去って「Pluralityという単一の旗の下に集まろうと言っている。少なくともそのように機能している。
その際、政治的には中立であるべきだとか「* 分断を煽るな」と言われてしまう。
「政治的に中立」なので「別にさして女性差別とかこの世にそんなないと思う」とか「沖縄で基地問題に反対しているのは雇われたプロ左翼」だとか「アイヌ利権許すまじ」って人がその場にいてもいいし、ガンガン入ってくる。
当然、そういう動きを警戒した人たちは、そこがセーファースペースではないと認識するので入ってこない。それでもいいと思える、つまり元からそういう思想の人たちが入ってくる。
「中立」というのは思想が強いのだが、このことが理解されていない。
理解されてないことはない。みんな相当賢いのだから。なのでむしろそれが「気にならない」あるいは「そっちのほうがいい」という思想を強く持ってる人たちなのだと理解するほうが自然。
要するに、多様性という言葉をある種の左翼的なアイデンティティポリティクスから取り戻せ、そんなことしてても仕方ねーじゃん!的な人と最初から親和性が高い思想=Plurality。
そうじゃなかったら、この言葉に一番にそういう人たちが食いついてるはずなので。
あとそっち系の左翼的な人は結構テクノロジーから距離を取る、伝統的な近代主義者=保守主義者なので。
ゴリッゴリの近代主義者 + デジタル民主主義というスタンスの人があまりいない。(自分は現状これに近い)
Plurality思想はむしろ民主主義の意味の書き換えを目指したムーブメントに近い。