M / 浜崎あゆみ
https://youtu.be/03y-KyezDS4?si=sjd6VaI8LznUf7-l
なんだこの曲は.....。冒頭はサビを半分だけ。その後、Aメロが2回繰り返されBメロ、これをもう一度繰り返すのだが今度はAメロは一回のみ。そこからはサビの連続歌唱x3。途中に野村義男かこれは。ギターソロが入る。最後は静謐なトーンに戻ってワンフレーズだけぼそりと歌って終了。素早くAメロBメロを終えサビに行くを繰り返す多くのポップソングからすると、この曲、特に最初は信じられないくらい「まだるっこい」「ダラダラしてる」感じがする。 実際、歌詞もAメロの歌詞はダラダラと間延びしていて、
周りを見渡せば
誰もが慌ただしく
どこか足早に通り過ぎ
今年も気が付けば
こんなにすぐそばまで
冬の気配が訪れてた
足早にとか「気がつけば」「すぐそばまで」などと言っているが、16小節も使って言ってることは「冬だね」の4文字くらいの情報量しかない。「周りを見渡せば」とか「今年も気がつけば」と本人の意識もスロー、のんびり。めっちゃ「遅い」曲なのである。
ところが、次はAメロ2回のループをやめて、Aメロ一回でBメロに行く。これが効果的で、Aメロ一回をはしょった分だけ曲のエモーションが加速することになる。また、最初のBメロで、
今日もきっとこの街のどこかで
出会って目が合ったふたり
激しく幕が開けてく
と歌われるのだが、その直後のこのAメロ一回では
それでも全てには
必ずいつの日にか
終わりがやって来るものだから
と即座にその終わりを示唆。「全てに必ず」と一切の例外はないと容赦ない。要するにさっき呼び出した恋人たちも終わるんですよ!と歌っている。そして2回目のBメロである。
今日もまたこの街のどこかで
別れの道 選ぶふたり
静かに幕を下ろした
「激しく幕が開けてく」から間奏除けばたったの16小節で「静かに幕を下ろ」してしまう。
そしてこの「静かに幕を下ろした」から、浜崎あゆみオンステージの盛大な幕が上がる。この逆転、矛盾が見事で、リスナーは全サビを聴くためになんと2:20秒もおあずけを食らう(曲全体は4:40秒ほど)。ためにためての大解放。なるほど、これが浜崎あゆみか。
'Maria' 愛すべき人がいて
時に強い孤独を感じ
だけど愛すべきあの人に
結局何もかも満たされる
サビの歌詞。好きな人はいる。でも、孤独を感じる、深いキズを負う。それなのにその人にすべてを満たされている。要するにもう完全に依存してる。付き合ってるけど好きピと上手くいってない。出会ったからには必ず誰しも別れる。例外はない。だから祈る。マリア様に。これはMVでも十字架を映しているし「M」というのはマリアのことで間違いないだろう(別の解釈をしても構わないが)。
最後はそれこそ祈りのようにAメロが8小節だけ
理由なく始まりは訪れ
終わりはいつだって理由をもつ
と歌われる。理由と書いてあるがこれは「わけ」と読む。わけがないならわけがわからないが、終わりはいつだってわけを持つ。それならそのわけさえすべて潰せば終わらないことになる。「全ては必ず終わる」と言ってたくせに最後に「そうじゃない」可能性を示唆してこの歌が終わるのは、これは実は福音の歌だという理由(わけ)だ。