BUTTER
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柚木麻子
個人的には非常にドストエフスキー感があった。ポリフォニー。カラマーゾフの兄弟みたいな、殺人の謎=文学的な回答みたいな感じ。
信頼できない語り手=梶井真奈子。
自分はある種の探偵小説として読んだ。アームチェア・ディテクティブ。羊たちの沈黙みたいな。
結局、これ、梶井が犯人かどうかもわからんのよね?
木嶋佳苗の事件と違って、男性三人の死因がそれぞれ違う。
主人公の町田里佳には父親を死なせてしまったっていう負い目がある。それが梶井と重ねあわされていると。
梶井真奈子のキャラが最高にいい!
梶井真奈子がヨーダみたいなもん。メンター。メンターに話をしにいくと、クエストを出される。そのクエストは食べものに関すること。
ケアの重要性(特に男性の)とか、恋愛以外の人と人のつながりとか。確かにそういうテーマもあるのだが、もうその手のまじめな教訓的な読みはなんかウンザリ!っていう人のために梶井真奈子がいる。自分にとってこの小説はとにかく梶井真奈子だったなー。
この本は別に梶井を「道を間違えた」人のようには必ずしも描いていないというか。今時の、フェミニストとまでは言わないけど、進んだ女性である主人公たちに対して、ズバリ言い返すときの梶井がもうおもしろくておもしろくて。「結局あなたたちは母性求められるのが嫌なくせに男性には父性ばかり求めてる。同じじゃないか」(大意)といった言い返しには思わず笑ってしまった。
梶井の知識や教養は、借り物で、遊びがない、どこかの誰かの丸コピーだと、否定的に言及されるところもあるけれど、それの何が悪いのか。というのも、里佳はその梶井のレシピや体験を丸コピーすることで、梶井を理解し、その結果、梶井と自分とは違うことも理解し、つまり自分とは何かを理解し、自分を変えていくのだから。オリジナリティや創意工夫がなんぼのもんじゃい。だから梶井の「丸コピー」的な知識教養も、単に「定型の道から外れたくないという硬直的な姿勢」として否定的にだけみるものではないんだよね。梶井なりの「他者を理解しようとする努力」だったりする。
レシピとはそういうものだったりする。丸コピーをして人に伝える人もいれば、そのコピーをするうちに、でも、条件は常に同じではないから、反復しているうちに差異が出てきてしまう。そしてその差異が差異のまままたコピー=反復されていく。