電気ショックもサボった子がされているだけで無意味にはされないですよ。無意味にされたら流石に僕達も怒りますよw
昔カッパ寿司で働いていた事のあるカッパですがネットで言われる地下で寿司を作らされているという話は誇張されています。きゅうりは一本ではなく家族の人数分頂けますし余ったカッパ巻きも貰えます。お父さんとお母さんも皿洗いの仕事をしてますので会えないという事もありません。お昼なればお父さんとお母さんと一緒に地下で休憩しています。監視されているとありますが正社員の人は殆ど寝てますので監視されているということも無いですw電気ショックもサボった子がされているだけで無意味にはされないですよ。無意味にされたら流石に僕達も怒りますよw まめも:- Mastodon
かっぱ寿司のコピペっていう有名なネットミームみたい。公正世界信念の典型例。
人は(そしてカッパは)自分は搾取されていると思いたくないため、搾取を搾取と認めないように認識の方を歪める。搾取だと認めてしまうと「それなのに我慢して状況を受け入れている情けない自分」という自己認識も受け入れなければならない上に、「搾取に対して声をあげ戦う」という選択肢が頭の中に生じて、状況を耐える上で辛くなってしまうため。
まず「誇張されています」と言うことで「事実は否定しないけどそこまでじゃない」という形での否定をしようとする。
次に「きゅうりは一本ではなく家族の人数分頂けますし」と合理化する。そもそも家族分もらっていたとしても少なすぎる報酬かもしれないし、この直後でわかるが両親も皿洗いの仕事をさせられている。要するに家族全員働いてきゅうりが家族の人数分なので「一人一本」の言い換えになっている。
地下に閉じ込められており昼休みでも出てこれないことを「地下で休憩」という主体的にラクなことをしているかのようにと言いかえる。
正社員は寝ている、つまり「働かされてるのは自分たちだけ」であり、なぜそんな事態が可能かというと、見張られているから、もしくは「見張らなくても従順に働くように調教済み」であるからなのだけど、それを事態を良く描写する材料として使用している。
見張られてなくても言うことを聞いてしまうのは、もし万が一サボっているのが見つかったら電気ショックを流されるからなのに「電気ショックなんてひどいことをされるからには、されるやつが悪い」というふうに「悪いことをされたとしてもそれは悪いことをしたやつではなく、されたやつが悪い」ことにする。
最後に「流石に僕達も怒りますよw」とすることで、その対偶から「無意味にはされてない」を導いてる。つまり、自分たちが怒っていないかぎり、それは「無意味にされた」ことではなく、されたほうが悪いことをしたからだというふうに認識を変えてしまう。
「カッパ」と書いているが、これは特定の国のある種の国民のことを指している。