自分語りではなく世間語り
世間を語りながら自分を語り、他者を知る / 近年、「自分語り」、つまり自分の個人的な趣味や気持ちについて話す自己開示が苦手な人が増えていっているようです。 / インターネット上では、自分の興味関心のある事柄を深掘りして、豊富に情報を入手できますし、検索すれば同じような趣味の人と出会えるし、地球の裏側にいるマニアと繋がることだってありえます。 / しかし実社会、実生活は、そういった「同好の土」ばかりではありません。地域や学校や会社や自分の所属するコミュニティには、いろんな「他者」が満ちあふれています。興味関心がぴったりとマッチする人はなかなか出会いません。 / 「クラスメイトに自分の好きな戦車の話をしたら、全く相手は興味がなくて、『ふーん』のひとことで終わった」といった悲しいコミュニケーション不全の経験をすると、自然と「自分語り」をしなくなり、どうやって他者と会話をすればいいのかわからなくなるわけです。特に初対面の人と話をするのが苦手だという人は多いようです。 / 初対面の人と話をするときに必要なのは、じつは「自分語り」ではなくて「世間語り」です。「今年は花粉症が大変らしいですね」とか「そろそろ天神祭の時期ですね」といった、何てことのない、あたりさわりのない話題から、他者との繋がり、話の糸口というのは始まるわけです。 / そうした「世間語り」のネタが山ほど掲載されているメディアが、新聞です。まわしよみ新聞は、自分の興味関心のある記事を切り取って提示するので、一見すると「自分語り」のように見えますが、切り取るソースは「新聞」なので、その記事は少なからず世間的、社会的、公共的な性質を帯びています。「自分語り」でありながら、しかし「世間語り」でもあるのです。まわしよみ新聞をつくろう!pp.59-60 これ、結構重要な指摘で、コミュ症と言われる人たちは、世間語りが苦手で、それらがすべて自分語りになってしまう。自分語りをしても、相手が共有できない話題だと困る。それよりも、皆が共有している「世間」について語るほうが自然。その上で、その世間の語り方や取り上げ方に個性を滲ませればよい。