木綿のハンカチーフ
https://youtu.be/4kavnmW3EqA?si=kEjtX2KzASdDFP9a
遠距離恋愛のラブソングだが、二人の恋愛から見えてくるのは、一時期から新しくスタートした日本の経済産業スタイルという、かなり社会的な歌だ。今では東京や大阪に地方から就職するのなんて当たり前だけれど、出稼ぎでもないのに(出稼ぎではないだろう。半年経っても帰ってこないのだから)大都会に染まっていく「あなた」というのは、もう、そういう時代なのである。 木綿のハンカチーフを聞くと、何番で何をすれば二人は別れずにすんだのか、どうすれば変わらずにいられたのかと考えてしまうのだが、もう一番からアウトなのだ。欲しいものがあるから「東へと旅立つ」「あなた」と、「欲しいものはない」「恋人」。もうこの時点でズレてる。
「欲しいものがある」というか欲しいものはつくられる。「欲しいもの」すら与えられ、その欲望に終わりがないのが産業資本主義であり、「ここにあるもの」ですべてが完結するのがバナキュラーな自律共生社会なのだから
二番になるとこの相違はもう決定的になる。「都会で流行の指輪を送るよ」と「あなた」は言う。流行り、要するに「みんなが欲しいもの」が「あなた」の「欲しいもの」なのだ。そしてそれを「恋人」に「送る」のだと。細かいが「贈る」ではなく「送る」だ。一番では「華やいだ都会で君への贈り物」を探すつもりだと言っているのにだ。
そして流行りの指輪を「送る」とは、「あなた」は「恋人」に、「他人が欲しいものを欲しがれ」「欲しがるはずだ」と言ってるということだ。「欲望駆動の資本主義を受け入れろ」というわけである。これに対して「恋人」はそんな指輪は要らない、なぜならそれよりも「星のダイヤ」や「海の真珠」のほうが素晴らしいし、さらにそれよりも「あなたのキス」のほうが輝くのだと二段階で否定している。 もっと言うと、この「恋人」はおそらくは女性だと思われるが(時代背景的にそうだと仮定する)、「男についていく」「言うことならなんでも聞く」という保守的な女性像では「ない」。「あなた」が指輪を送るというと、はっきりと「いいえ」。1975年の歌だ。一応まだ婚前交渉NGの規範が成立しているはずだし、地方は概して保守的なのに、既にキスさえしてる積極性もある。(松本隆の歌詞の女性はそんな感じ) 三番では「あなた」は「恋人」に対して「いまも素顔で口紅もつけないままか」と言っていて、つまり「化粧をして口紅をしてたくさんの人の「欲しいもの」にならないのか」というわけだ。二番よりもさらに進んで「恋人」自体に「商品であること」、「多くの人から欲望されること」を求めてる。そして自分も見間違うようなスーツを着たぼくを見てくれと、要はみんなが「欲しいもの」に自分もなったから、それを欲しがってくれ、みんなが欲しいものが欲しいのが自分なのだが、恋人も自分と同じように「欲しがられる」ことを欲してくれないかと言うわけだ。でも「恋人」は裸の「あなた」にしか関心がない。「草にねころぶ」「あなた」が好きだっ「た」(過去形)と歌われるが、草に寝転んで何をしていたのか。もう二人は既にキスは済ませてるのだ。爽やかでさらりとしているが、ここでの「草に寝転ぶ」にはドキリとしてしまう。
「最後のわがまま」として「恋人」は「あなた」に「木綿のハンカチーフ」をねだる。現代の人間関係や性規範に慣れてる自分たちからすると、この「恋人」は最後どころか「わがまま」なんか一度でも言ってたか? 田舎でおとなしく「あなた」の帰りを待つ受身な存在だったではないかと思いそうになるが、この恋人はここまで三回も「あなた」に「いいえ」と言っている。相手の言うことを言われた通りに受け入れ、ただただ待ち、「送」られた品を喜んで受け取ればいいだけのはずなのに、それをしない。つまり確かにずっと「わがまま」を言っているのである。あなたの思うようにはならない私でいつづけると。だからこれが「最後の」わがままになる。ここにも男=産業資本主義の命じるようにはならないという強烈な自我がある。もちろん望んだからといって「恋人」は都会に行くことはできない。なぜならおそらく「恋人」は女だから。自由はないが自我はある。この歌はそんな時代の女性を歌った歌なのである。
「最後」のわがままではじめて「恋人」は「あなた」に「欲しいもの」「贈り物」をねだる。それが「木綿のハンカチーフ」なのだが、おそらくは「あなた」が染まっていった「都会」は木綿の産地ではないだろうし、工場があるわけでもないだろう。「見間違うようなスーツ」着た「あなた」は工場労働者でもないホワイトカラーで、となると「地方の原材料で地方で作られ都会で売られている商品」が「木綿のハンカチーフ」でそれがほしいと「恋人」は言ってることになる。最後で都会と地方の矛盾は木綿のハンカチーフという「涙を拭く商品」として矛盾が解決され、止揚される。