日常会話にボケとかツッコミとかしんどい
SNSで「日常会話でボケとかツッコミとか、テレビの芸人的な対応を求められるのしんどい」って言ってる人がいて「たしかに」 と思った。こういう感覚って最近どんどんどんどん強くなってるんじゃないかなあ。たまにはいいけど「常に」は気を張るし疲れてくるってのはそうだろうなと。 芸人のマネはそもそもイタい
あれはお笑いの人とかプロがやるからいいのであって素人がおもんないのにノリだけマネしても.....っていう。それこそおもんないしヘタクソなのに無理して「なんでやねん」とか言われても疲れるだけっちゃだけ。背伸びは論外。
そもそもボケにツッコミというのが関西だけのノリだとも言われてる。
かまいたち 山内の有名な話。徳島なんかボケという概念すらなかったので、本当に誰もツッコミしないで「ほうなんじゃあ」で終了。ヘラヘラすらしない(笑)。こう考えていくと関西圏が特殊だと思う。 関西圏にしても、とんずとか秋定遼太郎とか神戸出身は「ツッコミはするけどガツガツな感じは嫌」「好きなこと無理なく好きにやるのがいい」って感じで温度感違うかもしれない。神戸出身芸人一覧参照。 そもそも会話には一定の「競技性」も必要
これ自体がそんなこと考えたことない人からしてみれば「え??どういうこと???」だろうけど、会話やコミュニケーションには常に一定の競技性が求められている。競技性のある場で卓越性を示すことができる=だから楽しいし、その他の点では劣位に置かれている人でもフックアップされるチャンスになりうるのがコミュニケーションだったりする。
和歌もラップもそうでしょ。
ボケやツッコミ以外にも、ウィットだとかユーモアだとかもそう。
競技性が高い、つまり「上手い人得意な人と下手な人苦手な人」がいるってこと。
上手い人は自分の卓越を示せるからいいけれど、苦手な人は常に「しんどい」を強要される。
逆に言えば、ボケとかツッコミを一切しないコミュニケーションでは、苦手な人は疲れなくていいけど、上手い人は自分の良さを認めてもらう機会もないし発揮もできないので、ただただ退屈だし、退屈は苦痛だしなんなら「疲れる」。
ボケやツッコミが最低限されないのもそれはそれで疲れる
ボケやツッコミをしている人にとっては、ボケやツッコミない人と話すのは疲れる。そういう人はボケやツッコミ=最低限のサービスだと思ってるのに、そのサービスにそもそも気づいてくれない=一方的に尽くすのを強制されているだけでハカがないと感じる。
そんなにレベル高い要求するのおかしくない?と思うかもしれない。挨拶したり相槌返したり、共感を示したり、話をちゃんと聞いてくれるのが最低限と思ってる人もいると思う。でも、これらすらレベル高い要求ともいえる。
何があっても逆に「そうかこの人はこういう基準だし仕方ないな」と受け入れるのがベストなのかもしれないが、こんなことができる人は才能持った一部の人だけなので、これを他の人にルールとして強いていくのも、これはまた別の意味で「要求が高い」になってしまう。
チューニングしていくのが正解って思っても、チューニングって最も難しいし、なんならプロの芸人が一番得意なのがこのチューニングだったりする。