大野左紀子と相互ブロック
大野左紀子.icon原田裕規編著の『ラッセンとは何だったのか?』を契機にラッセン分析が進んだけど、ひと昔前まで現代美術界では無視または冷笑・唾棄の対象だった。見るのも嫌だって人も少なからずいた。『情況』のあの表紙は、往年の『美術手帖』の表紙にラッセンのイルカの絵がデカデカ掲載されてるのに等しいかも。https://x.com/anatatachi_ohno/status/1927177974937264264
なんですか。適当言うなと。
立花孝志をラッセンとアナロジーで語る危険に気づいてないのヤバいと思うし、ラッセンの分析としても立花の分析としても解像度低くなるのでは……。
なんか最近、大野左紀子みんなこんな感じでは。話題のトピックについて、自分のブログや著作に話をつなげていく。そりゃ繋がる部分もあるのかもしれないが、違いこそがここでは大事だろうよ。
https://gyazo.com/7cb960961d87136f090a0f0631fbe86e
無事ブロックいただいた。「本を読んでからにしてほしい」は「そうですね」だし、ブロックはもちろん何も思わないのだが、①ラッセンと立花が同じなのではなく、そのヒステリーが同型なのだ!②共著者も同意でリポストしてくれた。の意味がまじでわからない。①うん、だからその「ヒステリー」が同型というの、どちらにとっても解像度低いのでは?って話だし、②についてはその共著者も大野と意見が同じというだけでしかない(だから何?ではないだろうか.....)。
他者の意見や主張は「ヒステリー」(苦笑でしかない)にその意味を押し込めつつ、ご自身は冷静な意見の開陳をされているというフレーミングがたいへん巧みで、大野の文章を「おもしろい」と判断するような読者にとっては見るべき価値があるものとなっている。見習いたいものである。
「度々引用でつまらないこと仰る」森なんかの文章よりも、大野自身がたびたびXにてリンクを貼り付け、強く推している大野のブログエントリをお読みになられたほうが、みなさまも退屈なさらないんじゃないかと思う。エイリアン3をフェミニズム的観点から読み解く非常にスリリングな 内田樹のエイリアン読解の紹介が多くを占めており、「つまらない」なんてことはないかと思う。
https://ohnosakiko.hatenablog.com/entry/20080413/1208054577