マルクス・アウレーリウスはビジネス書
例のスーパーカウンセラーの人が発達障害者を「困った人たち」と書いた著作の話の流れで、ビジネス書を「浅薄」「売ろうとしてるだけのマーケットインの”商品"」みたいに言ってる人を何人か見て、ビジネス書や自己啓発書だからってバカにする読書好きなり、編集者なりにウンザリした。 ビジネス書や自己啓発書と同じくらい人文書だってクソ本率高いし、本はビジネス書に限らずすべて商品ですよ。SNSで情報発信して書籍売ろうとしているような連中がよく言うよって思った。
隣人がなにをいい、 なにをおこない、 なにを考えているかを覗き見ず、 自分自身のなすことのみに注目し、それが正しく、敬虔であるように慮る者は、なんと多くの余暇を得ることであろう。自省録 / マルクス・アウレーリウス 48ページ これなんか「SNSをやめてアテンションを取り戻そう」みたいなビジネス書と言ってること変わらない。だからつまらないんじゃなくて、フツーにビジネス書の古典として読めるでしょと。
でも、ビジネス書は内容が薄いってバカにしてて、同じことをマルクス・アウレーリウスが言ってたら「素晴らしい」「古典中の古典」とか言うんでしょ。単なる権威主義じゃん。自分の本は商品じゃないって言いたいだけ。それこそ俗物根性でしょ。
これ以上さまよい歩くな。 君はもう君の覚書や古代ローマ ギリシア人の言行録や晩年のために取っておいた書物の抄録などを読む機会はないだろう。 だから終局の目的に向かっていそげ。 そしてもし自分のことが気にかかるならば、 空しい希望を棄てて許されている間に自分自身を救うがよい。自省録 / マルクス・アウレーリウス 40ページ マルクス・アウレーリウスは近代人じゃないから、読書=偉い、個人の修養、陶冶のための教養......みたいな価値観も持ってない。それよりも読書にばかりふける人を「もうそんな人生残ってへんやろ」と戒めている。読書絶対主義に陥りがちな人は自省録も読んでないのか?っていう。
人は田舎や海岸や山にひきこもる場所を求める。 君もまたそうした所に熱烈にあこがれる習癖がある。 しかしこれはみなきわめて凡俗な考え方だ。 というのは、君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることができるのである。 実際いかなる所といえども、 自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠家を見出すことはできないであろう。この場合、 それをじぃっとながめているとたちまち心が完全に安らかになってくるようなものを自分の内に持っていれば、なおさらのことである。 そして私のいうこの安らかさとはよき秩序にほかならない。 であるから絶えずこの隠家を自分に備えてやり、元気を回復せよ。 そして(そこには)簡潔であって本質的である信条を用意しておくがよい。 そういう信条ならば、これに面と向かうや否やただちにあらゆる苦しみを消し去り、 君が今まで接していたことにたいして、 何の不服もいだかずにこれにもどって行けるようにして返してくれるだけの力は、充分持っているであろう。自省録 / マルクス・アウレーリウス 42ページ おあとがよろしいようで(笑)。でも、ほんとこの考え方はAIがプロンプトを促すこれからの世の中でますます重要になってくるなあと。