ピン芸が苦手な理由
https://youtu.be/5uBS1DHuF9s?si=nKtQ2YydMkdRGnZt
動画は紺野ぶるまのネタ。ここにピン芸が苦手な理由がすべて詰まっていると思った。
まずはピン芸、落語やスタンダップコメディで形式的には完成してしまってる(R-1のRはラクゴのRである)。落語やスタンダップは安心して聞ける。
どちらでもなくピン芸をやってるって時点で「選んだ」というより「選ばざるをえなかった」感が出てしまうんだよな。性格的にあるいは不幸が重なりコンビが組めなかったとか、自分の笑いの形が不定形で既存の枠組みに収まらなかったっていう。
自分は芸に基本的には「器用さ」を求めているところがあるので、ピン芸人=不器用な芸人の集合という感じに見えてしまい、その時点で安心して笑いにくい。
逆に言えばそういう不定形で不器用な芸人の好き勝手を生(き)のまま味わえるところが、落語やスタンダップ以外のピン芸の最大の魅力なんだけど。なので膝小僧お仕置きストしんぺーとかバイク川崎バイクとかは好き。徹底した不器用は今度は逆に安心を生むというか。
あとコンビ組んでる芸人が「ピンでもやるか」って感じで進出するので、逆にいうと「ピンである」ことの必然性を感じにくい芸が多いという、ネタ以前の構造的必然もある。
この紺野ぶるまのネタのように、コント設定で客席に向かって話しかけつつ状況説明をしていく感じがもう苦手。
目の前にお客さんがいるのに、それを無視して設定上の対話相手(この場合なら夫)と話してるのも不自然だし、本当に夫と話してるなら、いちいち状況を口頭でお客さんに説明しなおすかのような口調が今度は逆に不自然。
この時点で「落語家の妻」というキャラに見えない。ただ自分の芸をまとまった一つのピン芸というフォーマットに落とし込むための方便を選んでる紺野ぶるま、つまりネタやってる紺野ぶるまだけをただただ見せられてる感じ。
どんぐりたけしもそうだが、ピン芸、特にR-1でのピン芸にするために、ネタに統一性を持たせようとしてコント設定を入れてくるのが逆に魅力を減じてると思う。
どんぐりたけしもやりたいのはピン芸でもコントでもなく、ただただ一発ギャグでしょ? 猫ひろしみたいにただただギャグを連発してくれたほうが安心して見れる。
紺野ぶるまも同じで彼女の強みはなぞかけ。ただ、それをそのままやっても「おーー!」にしかなりにくいので、コントのフォーマットにしてるだけっていうか。
一つの特殊な設定で引っ張りすぎ。
たとえばこれは「落語を夫の創作だと勘違いしている妻」ってだけで進む。
バカリズムのネタで「ビデオデッキにちんこが挿さって抜けなくなった男」ってのがあったけど、それもずっとその設定一つだけで回す。正直飽きる。
真輝志も「ストップウォッチの解説員」ってネタをやってて。これも自分は発想的にはとても好きだけど、一つの不条理に延々付き合わされることそれ自体がどうしてもキツい。
数十秒なら「あはは。変なの」って思えるんだけど、4分ともなると途中で何度も「んなわけねーだろ」「じゃあさっきなんでそんな不自然なセリフ言ったんだよ」などと、見ている側が世界を疑うための、そこに思考を向けられる余裕がどんどん出てきてしまう。
ましてや対話相手がいる体裁でやってる芸ともなると「え? このネタ、ゆうくんのオリジナルじゃないの?」みたいな説明的なセリフが大量に入ってくるので、緊張感がもたない。