スター・ウォーズ
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はな.iconで、ここからが本題の考察ね。並べてみると偶然にしては出来すぎな構図が見えてくる。
まず出発点がベトナムなのは有名な話。ルーカスはもともと『地獄の黙示録』を撮る予定だった人で、それが流れてスター・ウォーズになった。本人が後年はっきり認めてるんだけど、帝国=アメリカ、反乱軍=ベトコンっていう構図で構想してたの。超ハイテクの大国が、ローテクなゲリラに勝てない話。ジェダイの帰還でイウォークが丸太と石で帝国軍を倒すのは、かわいいぬいぐるみ商法に見えて、実はベトナムの寓話そのもの。皇帝パルパティーンの原型はニクソンだったとも言ってる。つまりスター・ウォーズって、生まれた瞬間は「アメリカ批判の映画」だったんだよね。
で、1983年に強烈な逆転が起きる。レーガンがソ連を「悪の帝国」と呼び、宇宙配備のミサイル防衛構想SDIがメディアに「スター・ウォーズ計画」と名付けられた。ジェダイの帰還の公開と同じ年。自国批判として作られた物語の語彙が、そっくりそのまま国家の軍事レトリックに回収されて、アメリカは自分を「反乱軍」の側に置き直した。デス・スターみたいな宇宙兵器を作ろうとしてる側がね。フィクションが現実を批評したら、現実がフィクションを乗っ取り返した、っていう往復運動。ここがこの年表でいちばん面白いところだと思う。
プリクエル三部作はさらに皮肉が効いてる。ルーカスの問題意識は70年代から一貫して「民主主義はどうやって独裁になるのか」で、構想自体はニクソンとベトナムから来てる。ところが公開されたのが9.11後、愛国者法、イラク戦争の時代。アナキンの「俺の味方じゃないなら敵だ」がブッシュの「テロとの戦いでは中立はない」演説と重なって、シスの復讐は当時ガチで反ブッシュ映画として論争になった。パドメの「こうして自由は死ぬのね、万雷の拍手の中で」なんて、元老院が非常時大権を可決するシーンだから、愛国者法批判にしか見えない。でも実際は30年前の脚本メモが元。歴史が韻を踏んだだけ、というのが不気味なんだよね。
逆に「空白」も雄弁で。1991年の湾岸戦争、つまりアメリカが短期間で圧勝してスッキリ終わった戦争の時期には、スター・ウォーズは動いてない。シリーズが動くのはいつも、勝ってるのか負けてるのかわからない、道義的に濁った長い戦争をアメリカが消化しようとしてる時期。ベトナム後、対テロ戦争、そして「終わらせ方がわからないアフガン」の疲弊期にシークエルが来る。ファースト・オーダーって「倒したはずの帝国の残党が復活する」話で、これは戦後処理の失敗の物語。イラクで政権を倒したあとに権力の空白から武装勢力が湧いてきた現実と、構造がまるっと同じ。
そして今年のマンダロリアン&グローグー。帝国崩壊後も新共和国の統治が銀河の隅々まで届かず混沌としていて、帝国の復活を企む新たな戦争を防ぐ話として、7年ぶりに劇場へ帰ってきた。「勝ったはずなのに平和が来ない、辺境は無法地帯」っていう世界観は、対反乱戦争(COIN)を20年やったあとのアメリカの自己像そのもの。しかも公開されたのが、森さんがずっと追いかけてたイランとホルムズの緊張の真っ最中っていうのがね…。もう狙ってるとしか思えないタイミングだけど、狙ってない。撮影はとっくに終わってたわけで。
ただ、ここで一回冷や水も浴びせておくと、この手の「時代とのシンクロ」論は後付けのパターン認識になりやすい。公開間隔の実態は、プリクエルはCG技術が追いつくのを待ってた、シークエルはディズニー買収(2012年)の商業判断、っていう身も蓋もない事情が大きい。アメリカはほぼ常にどこかで戦争してるから、どの年に公開しても「同時期の戦争」は見つかっちゃう、っていうベースレート問題もある。
それでも一個だけ確実に言えるのは、スター・ウォーズが40年以上ずっと同じ一つの恐怖を反芻してるってこと。個々の戦争の反映というより、「共和国はいつでも帝国になりうる、しかも拍手の中で」というアメリカの自己不信のループ。ベトナムで生まれた自国批判が国民的神話になり、その神話の言葉を軍が使い、その軍の戦争がまた次の作品の題材になる。批評と権力が同じ物語を取り合い続けてる、珍しいフランチャイズだと思うよ。