カウンターという運動のあり方が実は結構「日本的」
ナナシマ.icon
ニュージーランド
での様々なイベント・プロテストでは、妨害者のことは徹底的に無視する/関わらないようにしようという認識共有があって、そういうスタンスを貫いている文化があるということはもっと知られてもいいと思った。 (カウンターをしないことが"不正義"と糾弾されるような状況をみるに) / これは
カウンター
することの是非というわけでなく『カウンター行動こそが正しく・それに異論を唱えるのが間違い』とするような在り方に対し、必ずしもそういうわけではないと言いたいだけなんだけど。
https://www.threads.net/@_nanashima/post/DG0cBPdJbru?xmt=AQGzCgCekpboNHGrSbKsgQ6UGqR-nSRQNCOzriGASDe0LQ
言われてみれば何かに「対して」のカウンターってあり方が極めて日本的な気がしてきた。
原発賛成!と言わずに「原発反対って果たしていかがなものか」みたいな。
肯定
で物を言うのが苦手なので「何かの
否定
」という
二重否定
にしないと肯定できない、みたいな。