憶録
紙 (テイクGA 104.7kg) / インク, 写真 (ネットプリント)
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https://scrapbox.io/files/641f7c1922ac66001b969abf.jpg
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クラウド保存は普段からするべきだ。
そう思った時既に着手していたイラストのデータは消えていて、復旧不可能な状態だった。
怪我の功名とはこの事なのだろうか。はたまたただヤケを起こした結果なのか、記憶と記録について興味が向いた。
手始めに身近な記録をかき集めた。メモ、ノート、カメラロール、メッセージアプリの会話履歴……。
カメラロールを遡っていると色々な写真が出てきた。
高校の卒業式や友人と食べた食事、珍しかったので撮った雪の夜など楽しかった、珍しかったから、などの理由で撮ったのであろう。
私は思い出というと嫌な記憶ばかりを思い出しやすいのだが、これらの写真は嫌な記憶だけではなかったことを証明しているように思えた。
しかしそれと同時に虚しくもあった。私はカメラロールを見返さなければ私の過去は悲しい記憶ばかりだと思っていたこと、そしてそのデータも簡単に全て消える可能性があることにだ。
忘れてもなかったことにはならないとはいうが、だからと言って忘れてしまって良いものではないと考える。
なので忘れないように記録することにした。
だが、記憶は保管している間自覚有無に限らず欠け、失った部分は作った記憶で補完される。
つまり私の今持っている記憶は当時の正確なものではなく、当時のことや感情、ニュアンスを再現しただけのものに過ぎない。
当時を残す正確な記憶は写真のみになったというわけだ。
それでも写真は当時の状況を目越しにレンズで切り取っただけで、写っていない部分も当然ある。
そこで、比較的正確に残っている部分は写真をそのまま使い、写真外のことは記憶を頼りにドローイングしてみた。
記憶の頼りなさと記録の正確さを思ってもらえると幸いだ。