常識にとらわれない100の講義
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いいなと思った文をそのまま引用している。
はじめに
ある程度は「支配」があった方が楽に感じる習性が人間にはある。
1日というサイクルがある。これは地球の自転によるもので、偶然に決まった時間だから、本来は人間が縛られなければいけないものではない。でも、毎日だいたい、このサイクルに、従って大勢が生きている。
模範がなくても、自分の人生は自分の思う通りにすれば良いだけの話ではないか。
就活、婚活をしなければならないといった常識
不言実行
大多数の場合はするつもりというだけで具体的な行動をまだ起こしていない。
夢はあまり語らない方が、僕は良いと思っている。実現できる目処が立ってからほんの少し予告する程度にして方がよろしいかと。
不満を持っているほうが、満足しているよりも幸せだ。幸せは満足へ向かう加速度のことだからである。
金がない金がないと言いながら毎日酒を飲んでいる人がいる。時間がない忙しいと言いながら毎日テレビを見ている人たちがいる。不自然な光景に見える。
失敗してしまう、損をしてしまう、一人よりも遅れてしまう。…そして、どうして間違えたのか、というきちんとした理由がある。反省しないと失敗を繰り返す。
人間というものは自分が望むようになるからだ。自分のが望まなければ、絶対にそうはならない。望んでいる通りにならないときもあるけれど、その多くは途中で望むのを諦めたことによる。
一般論ではあるけれど、新しいものを作りたかったら、今あるものに何を加えようか、と考えていてはダメだ。
そうではなく、今あるものの何を犠牲にするか、何をやらないでおくか、を考えたほうがいい。しないことが新しさを求める勇気なのである。
問題は、暇な時に、どれだけ自分の刃を研ぐことが出来るか、ではないだろうか。
自分の人生はしごとにあるのではない、仕事は自由を得るための手段に過ぎない、という確固たる信念があるのなら、それもまた素晴らしい。
自分は才能がないから、絶対に無理だ、やってもどうせ失敗するだろう、と考えている人が本当にたくさんいる。三十歳くらいになると、何もできない、ただ仕事をするだけ、ただ家庭サービスをするだけ、という人間ばかりになる。子供の時には、もっとあれもやりたい、これもやりたい、という夢があったのではないか。
…
自分が成長して可能になることも多い。できなかったものが、できるようになる。試しているうちに、出来るようになる。技術やノウハウが身について、自分がバージョンアップするのだ。
僕は、できないのもがいつかはできる。と信じられることが自信だと思う。僕は毎日の工作でその自信を味わっている。こんなものが作れるようになったんだ、と自分を褒めてやれることが嬉しい。
つべこべ言わずやれば良いというものがほとんどである。
言い訳の最たるものはやる気になれないだろう。そうですか、あなたはやる気がないと何もできないのですか、と聞いてみよう。
躰がだるいとか体調が悪いとか全然気持ちが乗らない状態でもやれるのである。本当に動けないほどの重体でないかぎり、たいていのことはやれる。やってみたことはあるのか?とききたい。僕は、やる気満々の状態でやったことなんて記憶にない。大好きなことであってもめんどくさいけど今日もやるか、と腰を上げるのである。
若いうちは、したくても出来ないことが沢山ある。あれもやりたい、これもできるようになりたい、と気ばかり焦る。そんなときは、とにかく簡単なこと、身近なことでも良いから一つやってみることが大事だ。ひとつ出来るようになると、他のことにも活かせるものを得ることができる。それが、できた自分の蓄積である。
人間を見ていても、一発勝負に出たがる人と、こつこつと力を持続して発揮する人がいる。もちろん、信頼されるのは後者だ。信頼されない人はそれを挽回しようと一発勝負に出るのかもしれない。浮き沈みが激しく、調子の良いときには、大きなことを言うのに、結局それが実現することはない。そのうち誰も聞いてくれなくなる。
ちっともうまくいかない、良いものができない、という悶々とした時間はとても重要である。そこで投げ出してしまっては、本当にもったいない。その時間は、お金を払ってでも経験すべき学びなのである。ああ、自分はいままさに大きくなっているのだなと思えば良い。
ただし、そんなことを思ってばかりいて結果が出せないでは元も子もない。
自分を安売りせず、自分の仕事の値段は自分で決めよう。
人を妬むというのは、それだけ自分に不満がある証だけれど、
料理とかあるいは映画や小説などの創作に対してまで点数を付けてどうするのか、と思うのである。評判を数字にするよりも、たとえば、何人がそれを買ったのか、という数字の方がずっと客観的な情報である。
酒が飲めるという自慢も、意味がわからない。酔わないことを自慢したい人もいるが、それは困った体質だ。酒の意味がなくなってしまう。少しで効果が出るほうが敏感であるし、明らかに経済的だし、なによりも健康的である。
私は@@になりたいのですが、なかなかなれませんどうしたら良いでしょうか?と誰かに尋ねる人は、@@になれない。どうしたら良いか自分で考えることが@@になる秘訣なのである。それを人任せにしていたらなれるものもなれなくなるだかりか、どんどん他のものも手に入らなくなるだろう。
電話ではなくメールにしてほしいと頼んだら、当社ではセキュリティの問題でメールのやり取りはしておりませんと言う。それはそちらの事情だろう。
苦労をかけたものは高い、という理屈がアマなのだ。プロだったら、その苦労をなんとか合理化して、商品価値相当の中古値段に近づけるはずだからだ。消費者にとっては、生産の苦労というものは、商品の価値には無関係なのである。