ボールのようなことば。
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断る理由をうまく言えなくても、断っていいんです。
あとあとのために、とっておこうというのはいい。でも、そのあとあとがあんまり後になると美味しくも楽しくも無くなってしまう。
自分の良くないところというのは自分の良いところが存在するための理由だったりするんです。
世の中に縛る人がいないと言うわけにはいかない。何もかもバラバラじゃ収集がつかない。
しかし、縛りたがる人はいなくてもいい。たいていそういう人は自分まで縛っているので、他人を縛る時にも呵責がない。
私だって我慢しているんだと縄をなう。
ハズレにも色々あるんですよね。いっぱいくじを引く機会をもっていることだとか、いっぱいくじを引く勇気を持っていることとか、これはすごいことなんだよなぁ。いっぱい当たりを引いているように見られている人は、ほんとはいっぱいくじを引いている人なのではないか、
好きな人に会える場所は好きな人の好きな場所さ
自分の好きな人が、静かに本を読むことが好きなら図書館に行けばあえるんじゃないか。…
健康な日々を過ごしている時には、ことさらに健康のことなど考えていないでしょう。おまえ、健康?なんて訊かれても、え。どういうのが健康なの?と、訊き返してしまうくらいの感じなんじゃないかなぁ。
鑑賞とは、作家の時間と時間の追体験である
こういうことは難しい、こういう方法は無理だ、こんな考えは甘い、こんな失敗は知ってるか。もうね、ものすごくいっぱい聞くんですよ。何かを始めようとするときにはね。たぶん、そういう忠告をしたがる人は、自分が、君と同じことをやらない理由を語ってるだけなんでしょうね。
打席に立った時、三振するのも情けないゴロを打ってアウトになるのも、かまわない。見逃し三振さえも許してしまおう。いけないとはただひとつ、打席に立っていることが喜べないことだ。その打席に立ちたくて目を輝かせたのではなかったのか。