つめたいよるに
https://scrapbox.io/files/66c1e47e551059001dbf3e85.jpg
私のデュークが死んでしまった
私は悲しみでいっぱいだった
洋子は男の人の後について歩きながらぼんやりと考えたそうだ。意味は私の娘だ。全くどうして忘れていたんだろう。私はりょうちゃんと結婚したんだ。ゆみが生まれて今日は土曜日で家族3人でお昼ご飯を食べに来たんだ。そしたら学校の前を通って懐かしくなってちょっと覗いてみようと思ってそうだ。思い出した。
玲子はうっとりと満ち足りた気持ちであいていた。攻めで花びらを踏むと、しわっと柔らかい体の重さが心地よかった。
「あぁ、体に悪そう」
とつぶやいて、それを聞くと、私はゾクゾクした。スリルと罪悪感。胸の中で、梅ジャムとシュークリームが混ざりあう
ちゃんと聞いたかわからない言葉母の方でも疑問と言うより独り言のようにつぶやくのだ。私は反射的に左手を見る自由になった薬指。
人の神経を切ったみたいな明が鳴り響き背中で扉がちゃんと閉まる。さっきまで押しつぶされてくしゃくしゃの紙屑みたいに変形していた。人々は、ホームに降り立つと途端に正しい大きさに膨らんで元の形のちゃんとした男や女になって早足に歩いて行く。彼らの背中を見送りながら、私は夜のホームに取り残される。冷たい大きな手のひらにすっぽりと包まれて
ごろごろと転がってみる。孤独は減らない。アートかブートが動いてみる。孤独は減らない。手足をバタバタさせてみる。孤独は1グラム歌って左リアしない。
小さな食卓を整えながら、私の孤独は私だけのものだと思った。しゃくりあげつつ、お箸を揃え、お醤油を継ぎ出す。山のように刻んだネギをお味噌汁にどっさり入れて冷奴にもどっさりかける。明日になったらすっきりした顔で何事もなかったみたいに、会社に行ってみせる。大きく深呼吸をして、私は泣き止んでからご飯を食べる。
江國さんはいつも好きと肯定的に言う「脳と言うのは簡単だ。イエスと言うから難しい」と昔、文芸評論家の小林秀雄は言ったが、世界を肯定的に捉えるのは本当に難しい。好きなものを持っているのは楽しい。好きな人がいるのは嬉しい。しかしその喜びはいずれ悲しみに変わる。好きなもの好きな人はいずれ消えてしまうのだから。だから好きなものをたくさん持っているほど悲しみも増える。
好きな章
夏の少し前
いつか、ずっと昔
さくらんぼパイ
南ヶ原団地A号棟
ネギを刻む