理由はいいから腕磨け:AI時代のクリエイター論
久しぶりに琴戦に触れる記事を読んだ
スキルある人には審美眼が伴ってくる
AIのアウトプットをそのままブログやスライドなどにのせて、マネタイズしようなんて気にはならない。
時間を使って読んでくれた読者に、申し訳なくなってしまう
いかにAIが発達しても、人間が変わらずやるべきことは以下の2つ
・何を作るかの指示
・出てきたアウトプットの選択
後者については、審美眼が必要で、これは自分で作った経験がないと鍛えられない。
例えば、ChatGPTやCursorなどで、〇〇ゲーム作りました、〇〇のWebsite作りました、という声が上がっている 確かにすごいけど、それってどうなの?と個人的には思って見ている。
そのレベルのアウトプット(websiteなど)を量産して何になるの?と懐疑的になってしまう。
(その延長で、これでプログラマーは不要だ!と叫ぶノンプログラマーを見かけると、イラッとしてしまう)
AIがいかに進化しても、それに指示を出し、出てきたものを選ぶのは人間である。
そこには「人の審美眼」が介在する。
そして今の段階では、その審美眼を鍛えるには「自分の手で作る」が一番効果的であるようにも思う。
画像生成AIで「それっぽい絵」は作れるようになった。
しかし、その中でも飛びぬけて綺麗な絵は、そもそも絵が描ける人が作ってることが多い。
元々絵が描けない人が画像生成AIに手を出しても、AIに振り回されたアウトプットしか出てこない。
この差は、何をもって完成と認めるかという、審美眼の差だろう。
この審美眼の獲得は、現状、自分で手を動かして試行錯誤した経験がある人の方が有利に思える。
これはデザインだけでなく、文章やプログラミングにもある程度共通する法則ではないかと思う。
AI時代になっても、クリエイターは何らかの形で「腕を磨く」ことから逃れられない
審美眼を鍛えるために、一生腕を磨いていきたい。
例えプレイヤーとして第一線を降りることになっても、審美眼だけは鍛えていきたい。