未来に生きる時間が長くなる「時間の道具化」問題
そして、理不尽なまでに、目標達成や生産性へ執着する
常に「将来のために自己投資しなければ」とか。
「それって俺にとって何のメリットがあるの?」など。
日常のあらゆる全てをトップダウン思考で考えてしまうと、この落とし穴にハマる。
大切な人との時間を、大事に過ごせなくなる。(その時間あったら、自己研鑽したいなど)
子供、友人、家族、大事な人との繋がりを、一瞬一瞬を真剣に生きることから目を背けるようになってしまう。
詳細
トップダウンのみで物事を考えると、時間を道具化してしまう。
今日や明日という日を、理想的な未来にたどり着くための単なる通過点とみなしてしまう。
時間を有効活用することに躍起になるあまり
現在の生活を、将来の幸福に向かうための移動手段としか考えられず、現在を楽しむことができなくなる。
将来の価値を最大化することに心血を注いでいるため、人生には「今」しか存在しないという真実から目をそらしてしまう。
人生の「本当の意味」が未来にあると信じることで、今この時を生きることから逃げているとも言える。
どうすればいいか?
こういった考えに隅々まで侵食されると、人間が生きる幸せを失ってしまうと考えられる。
ありふれた日常に、目を向けること。
いつもと違う行動をするのではなく、すでにある人生に深く潜り込み、日常の内側に新しさを見つけること。
普段の2倍の解像度で人生を経験すれば、人生の経験は2倍充実したものになる。
同じ時間でも、2倍長く続いたように記憶される。
気まぐれに散歩をしてみたり、いつもと違うルートで通勤してみるだけでも日々の体験は深まるだろう。
写真を撮ったり、バードウォッチングをしたり
日記をつけたり、子どもと真剣に遊ぶのもいい。
今やっていることに注意を向けられるようなことなら何だって役に立つはずだ。
こんな時は要注意
生まれたばかりの息子が何か可愛いことをしていると、どんなふうにツイートしようかと反射的に考えてしまっていた。かけがえのない瞬間を経験することよりも、ツイッターにコンテンツを(無償で)提供することが優先だったの
弁護士が家族との夕食や子どもの発表会に現れない場合、それは文字通り「忙しすぎる」からとはかぎらない。金にならない活動に自分の時間を使う意味がわからなくなっているのかもしれない。
けれども、その代償は大きい。彼はけっして目の前にいる猫を愛することはできないし、甘いジャムを味わうこともできない。