我々はまだ知識ピラミッドを崇拝しているのか?
感じたこと
こんなピラミッドのように、明確に境界線などないし、データ/情報/知識は切り離せない。
たとえば、リンゴを見たときに、これはりんごだと知識を持ってるからこそ、リンゴというデータを認識できる。
確かにそうかもね...
フォルダのような階層構造ではなく、グラフ構造で考えなければいけないね。
前提知識
知識ピラミッドというモデルがある。
これは、下から上に向かって、データ、情報、知識、知恵の順に積み重なっているピラミッドの形をしている。
https://scrapbox.io/files/6602a0d5862ff60025520efe.png
データというのは、バラバラな事実や数字のこと。
例えば、「りんごは赤い」「りんごは丸い」「りんごは200円」というような、単純な事実がデータ。
情報は、データに意味や関係性が加わったもの。
例えば、「赤くて丸いりんごが200円で売られている」という風に、データ同士が結びつけられると、情報になる。
知識は、情報をもとに、それを使って何かができるようになること。
例えば、「赤くて丸いりんごを200円で買えば、おいしいジュースが作れる」というのが知識。
そして、知恵は、知識を活用して良い判断ができるようになること。
「健康のためには、りんごジュースを飲むのは適量が良い」というのが知恵といえる。
このモデルは、データから情報、情報から知識、知識から知恵へと、下から上に向かってステップアップしていくことを表している。
しかし...
この記事の著者は、このモデルには問題があると言っています。例えば、
1. データは本当にバラバラで意味がないものなのか?
2. 情報は単にデータに意味を加えただけなのか?
3. 知識はそんなに上の方にあるものなのか?
といった疑問を投げかけている。
データと情報と知識は、もっと複雑で絡み合っているものだと考えている。
データだけ、情報だけ、知識だけを切り離して考えるのは良くないと。
例えば、りんごを見たとき、「これはりんごだ」というのはデータでしょうか?いいえ、「りんご」というものを知っているという知識があるからこそ、それをりんごだと認識できる。
つまり、データを認識するためにも、すでに知識は必要といえる。
また、「赤くて丸いりんごが200円で売られている」という情報を聞いたとき、それがあなたにとって情報となるかどうかは、あなたがそれを新しい情報として受け取るかどうかによる。
もしあなたが前からそのことを知っていたら、それは情報とは言えない。
このように、データ、情報、知識は、切り離せないものなのに、知識ピラミッドモデルはそれを分けてしまっている。それを問題だと、著者は言っている。
そして最後に、著者は、会社などの組織で、このモデルを使って「データ担当部署」「情報担当部署」「知識担当部署」というように役割を分けてしまうと、うまくいかないと警告しています。データ、情報、知識は密接に関係しているのだから、それらを統合的に扱う「情報管理」のようなやり方が良いというアドバイスで締めくくっている。