動と静の性質を持つ情報
人が行う知的生産には、「動」と「静」の要素がある。
動とは、タスクだったり、アクションだったり、仕事において期限があって緊急性があって、確実な成果が求められるようなもの。1つ1つのプロジェクトや仕事にはあたかもフォルダのように名前が与えられ、トップダウンでタスク分解された垂直のデータ構造をとる。そしてその情報の役目も流「動」的で、その場一瞬で求められた知識は、試験前に徹夜して覚えた知識のように、テストが終わると急に役目が変わる。不要だと思っていたら、思わぬ形でまた必要になったりとコロコロその性質が変わる。
一方で、静とは、自分がこれまで培ってきた経験や叡智、ノート情報など内部にあるものと対話する性質を持つ。情報の質は固定的永続的で、脳のニューロンのようなネットワーク構造を持って刻まれていく。ボトムアップ。例えば、Web記事をクリップしてそのままコピペしてノートを作るとしよう。これはZettelkastenのルールに反するのだが、コピペだと情報が外部に依存しているため、内部という性質を持っていない。自分の言葉で(内部)火描かなければ、静の性質を持たない。そして、静は動と連動し、仕事に深みを持たせ、圧倒的な成果を発揮することができる。(30年間で58冊の本と、数百本の論文発表したニクラス・ルーマンのように)この静の知的資産を多く持っている人は、AIが真似することはできないため、とても価値が高い存在になる。 人が処理する情報量が急激に増えた2024年、動と静のこれらを同時に処理しなければならない。目の前に迫るタスクを処理しつつ、情報を動->静と外部から内部の脳のネットワークへと刻む必要がある。これは至難の業であり、だからこそCODE/PARAの法則、Zettelkarstenのような確立されたフレームワークが重要になってくる。