雲照寺
雲照寺(西原三−三一−一)は、幕末から明治期にかけて活躍した僧侶雲照(一八二七―一九〇九)に関わって成立した寺院である。雲照は、真言宗僧で正法律の興復や雲伝神道という神道説を説いたことで知られる慈雲尊者飲光(一七一八―一八〇四)の強い影響を受け、幕末期から明治期にかけての日本のためには戒律を重視した仏教復興が必要であるという認識にもとづき真言宗や仏教界全体に対する運動を行うとともに、神儒仏の三道が一致・一貫する国体運動の必要性を考え、さまざまな社会運動を行った。雲照は戒律中心主義に基づく僧侶養成機関として栃木県那須の雲照寺、岡山県倉敷の連島僧園、東京の目白僧園を開設した。明治四二(一九〇七)年に雲照は遷化したが、その後、三機関のうち目白僧園が目白台にあった京都東寺の末寺蔵王寺を幡ヶ谷に移し、名称を雲照寺と改めたのである。雲照の履歴や活動については、横山全雄「近代の肖像 一〇三―一〇七 釋雲照略伝」『中外日報』(二〇〇七年)などに詳しい。渋谷区域に関わる近代の仏教運動として注目に値しよう。